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濁点・半濁点なし文 効用編その2

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今回は「濁点・半濁点なし文」を書く場合の効用について、思うところをつらつらと書いてみたい。

「濁点・半濁点なし文」には、優越感から生まれる可笑しさが豊富に含まれているため、それを目にしてすぐに、ちょっと自分でも書いてみたくなるような誘発性がある。

 たとえば小学四年生の国語の授業で、
「教科書に載っている短い詩を読んで、心に浮かんだことを自由に書いてみよう」
という課題を与えた場合、一文字も書けずに困る子が多く出るだろう。

では同じクラスで、
「濁点と半濁点をなくすと、このような文章になるよ」
という例を二つ三つほど見せた場合はどうか。


例1:バーバパパがスーパーに行って、やきそばパンを買いました

→ハーハハハかスーハーに行って、やきそはハンを買いました


例2:すぐに食べて「まずい」と叫んだそうです

→すくに食へて「ますい」と叫んたそうてす


おそらく、即座にルールを理解できるだろう。
そして、少なくとも詩の感想文よりは自発的に、真似をして書きたくなってくる筈である。

 

実際に書いてみると、自分の書いた「言葉」と「意味」の間にファンシーな何かがポワーンと発生してしまう(そのポワーンとした、脱力感をもたらす、スカスカした素敵なサムシングが何であるかについては、前回を参照)ことに驚くだろう。あるいは、教室のあちこちで笑いが生まれ、止まらなくなるかもしれない。

 

という訳で、作文教育の導入や、ちょっとした息抜きとしては割と使えるアイディアではないかなと思っている(試してみたい方はご自由にどうぞ)。

 

ただし「書く」という行為の実際の様子を考えてみると、小学四年生の場合はおそらく二つのタイプに分かれる筈である。

 

A:効率型:いったん普通に濁点・半濁点を付した文章を書いてから、消しゴムで濁点と半濁点だけを丁寧に消す

B:遠回り型:濁点と半濁点を書かないように、注意しながら書く


前者は効率優先の世の中にあって、合理的に物事を考えて処理できるタイプである。きっと算数が得意な子であろう。

 

私がお勧めしたいのは後者だが、2014年のいま現在は、手書き作業で上記のようなAタイプとBタイプに分かれるのは、それこそ小学校の教室の中だけの話であって、大人はキーボードからの入力で文章を書いているケースがほとんどである。

キーボードから自分で「濁点・半濁点なし文」を入力する場合は「かな入力」であれ「ローマ字入力」であれ、いずれにせよ上記のAタイプよりは、どうしてもBの方法に近くなってくる。

もしかしたら、
「全文を普通に書いてから、濁点・半濁点付きの文字だけを書き直す」
という生粋のAタイプもいるのかもしれないが、Bタイプの場合は、まるで障害物競走をしているかのような、独特の変な感覚を味わうことができる。いや「味わう羽目になる」とでも表現した方がピッタリ来るような、妙な感覚である。

 

私が十年前に、

更新は不定期になるかもしれないか、書くことか無いような時は誰かの書いた文章や詩、名言なとから濁点と半濁点を抜くことにする。深い理由かあってのことてはなく、たたの暇つふしてある。強いて言うなら頭と指の体操てある。

http://ameblo.jp/nasi/ (「濁点・半濁点なし日記」)

 

「頭と指の体操」と書いた通り、最短距離で動くことに慣れている指が、わざとランダムに遠回りを始めるかのような動きをするので、慣れないうちは頭も指もくすぐったくなってきて、多少ニヤけてしまう。この辺りの感覚が、大人にとっての効用と言えるかもしれない。

 

さらに「濁点・半濁点なし文」という表面的なスタイルを導入することで、内容もまた普段とは微妙に異なってくる。

例えば「まずい(不味い)」が「ますい(麻酔)」に見えてしまうといったような、ちょっとした意味の脇道が出現することによって、自分でも予想外のフレーズや論理が生まれてくることがあるのだ。

だから、数ヶ月で書くことが無くなってしまった初心者ブロガーにとっての刺激剤になるかもしれないし、ブログに書く文章や内容に自分で飽き飽きしているベテランのための回春剤的な効果も期待できるかもしれない(試してみたい方はご自由にどうぞ)。

 

一見すると、ただのお遊びのような「濁点・半濁点なし文」だが、私はもっとシリアスな話題を書くのにも向いている道具ではないかと思っている。

例えば、匿名ダイアリーまとめサイトなどを読んでいると、こちらの考える以上に重い経験や悲惨な境遇、言うに言えないような記憶や想念というものがある。
単に「書く」といっても、後悔、懺悔、絶望、その他、世にはなかなか文章化しづらい話題が多くあるものだという感慨をしばしば持つ。

で、「何かのヒント」的には、むしろそういった内面の奥底に潜んだモヤモヤを文章化する際に、それを促す誘い水のような効果があるのではないか?と考える次第である(試してみたい方は慎重にどうぞ)。


あるいは、自己告白ではなく身の周りの人間への働きかけとしてはどうか。
急に口数が少なくなった同僚。

何となく悩みを抱えているような息子、娘、部下。

疎遠になってしまった知人、友人。

重いケガや病気に罹ってしまった親戚や知り合いへの見舞いや励ましとして、
「濁点・半濁点なして文章を書いてみると面白いという話を聞いたのて書いてみました」
といった手紙やメールを一通書くことは有益かもしれないし、少なくとも何かのきっかけにはなるだろう。


濁点半濁点なし戦隊:コレンシャー「♪ハンハラハンハンハン」