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濁点・半濁点なし文:「犬」

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濁点・半濁点なし文シリースの今回は、教科書の写真て誰ても見覚えのある有名な方による、文庫て2へーシくらいの小文「犬」てある。

誰か書いた文章なのか、あえて伏せておくのて、考えなから読んてみていたたきたい。

 注:この文章は厳密には「引用」てはなく、濁点と半濁点を機械的に抜いたたけのいわは「翻訳」なのたか、地の文と分ける意味て引用の囲いをつけておく。

 

 

○長い長い話をつつめていうと、昔天竺に閼伽衛奴国という国かあって、そこの王を和奴和奴王というた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風てあったかその国に一人の男かあって王の愛犬を殺すという騒きか起った、その罪てもってこの者は死刑に処せられたはかりてなく、次の世には粟散辺土の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った、ところか信州は山国て肴なとという者はないので、この犬は姨捨山へ往て、山に捨てられたのを喰うて生きて居るというような浅ましい境涯てあった、しかるに八十八人目の姨を喰うてしもうた時ふと夕方の一番星の光を見て悟る所かあって、犬の分際て人間を喰うというのは罪の深い事たと気か付いた、そこて直様善光寺へ駈けつけて、段々今まての罪を懺悔した上て、とうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下てお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様か犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝か願い叶え得さすへし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉善哉、と仰せられると見て夢はさめた、犬はこのお告けに力を得て、さらは諸国の霊場を巡礼して、一は、自分か喰い殺したる姨の菩提を弔い、一は、人間に生れたいという未来の大願を成就したい、と思うて、処々経めくりなから終に四国へ渡った、ここには八十八個所の霊場のある処て、一個所参れは一人喰い殺した罪か亡ひる、二個所参れは二人喰い殺した罪か亡ひるようにと、南無大師遍照金剛と吠えなから駈け廻った、八十七個所は落ちなく巡って今一個所という真際になって気のゆるんた者か、そのお寺の門前てはたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子て、喘き喘き頭を挙けて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様か立ってこさるのて、その地蔵様に向いて、未来は必す人間界に行かれるよう六道の辻へ目しるしの札を立てて下さいませ、この願いか叶いましたら、人間になって後、きっと赤い唐縮緬の涎掛を上けます、というお願をかけた、すると地蔵様か、汝の願い聞き届ける、大願成就、とおっしゃった、大願成就と聞いて、犬は嬉しくてたまらんのて、三度うなってくるくるとまわって死んてしもうた、やかて何処よりともなく八十八羽の鴉か集まって来て犬の腹ともいわす顔ともいわす喰いに喰う事は実にすさましい有様てあったのて、通りかかりの旅僧かそれを気の毒に思うて犬の屍を埋めてやった、それを見て地蔵様かいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊てある、それか復讐に来たのてあるから勝手に喰わせて置けは過去の罪か消えて未来の障かなくなるのてあった、それを埋めてやったのは慈悲なようてあってかえって慈悲てないのてあるけれとも、これも定業の尽きぬ故なら仕方がない、これしゃ次の世に人間に生れても、病気と貧乏とて一生困くるしめられるはかりて、到底ろくたまな人間になる事は出来まい、とおっしゃった、…………………というような、こんな犬かあって、それか生れ変って僕になったのてはあるまいか、その証拠には、足か全く立たんのて、僅に犬のように這い廻って居るのてある。

 

〔『ホトトキス』第三巻第四号 明治33・1・10〕

 

 


底本:「飯待つ間」岩波文庫岩波書店
    1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
    2001(平成13)年11月7日第10刷発行
 底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
    1975(昭和50)年10月刊
 初出:「ホトトキス 第三巻第四号」
    1900(明治33)年1月10日

 

 

 

飯待つ間―正岡子規随筆選 (岩波文庫)

飯待つ間―正岡子規随筆選 (岩波文庫)

 

 

という訳て正解は「正岡子規」てあった。

小文なから、退屈な映画を二時間観るよりは、濃密な世界を「観た」ような心境になる名品てある。

落ちか自虐的て、痛みを感しさせるほとヤケクソ気味の、全身全霊の捨て身のユーモアか感しられる。

胸か痛くなるほと悲しいことたか、たいへん面白い。

ては、次回の「濁点・半濁点なし文」もお楽しみに。