急に読者数が増えたので「さすが自分……」と思っていたら、ズイショさんのブログで紹介してもらった影響によるものだった。
この記事の中に、
この人の特徴は、自分に制限をかけることで面白くやることです。
という鋭いご指摘があった。
実は私も、自分が書いているブログには、何かを引くことによって、かえって面白さが増すという方法が多いのではないかと薄ぼんやり思ってはいたのである。
これは読者にとって、まさしく、
「何かのヒント」
になり得る話なので、いま思いつく要点や具体例をサラッと書いておきたい。
ちなみに「制限」でなくて、私自身は「引き算的な発想」という言葉で捉えている。
別の言葉で「縛り」とか「制約」とか「禁じ手の設定」とか言っても大意は同じである。検索すると「引き算仕事術」とか「引き算の思考」といった言葉が見つかるが、それと似た面もある。
ただし、最初からそういう考えを持って計画的にやっていたというのではなくて、
単に「面白い」と思うことをあれこれ続けていったら、結果的に幾つかのアイディアに共通する要素がそれであった、という程度のものである。
まだ整理できない所もあるのだが、ざっと三つに分けて書いてみることにする。
Ⅰ.足し算的な発想と引き算的な発想について
Ⅱ.具体例
Ⅲ.その他の考えの断片
Ⅰ.足し算的な発想と引き算的な発想について
アイディアや創造に関する話題で多くの人が、
1を10にしたり、10を100にするのは簡単である。
しかし、0を1にするのは困難である。
と口にする。
それは確かにその通りで、真の創造というものは奇跡的に純粋な「1」を産み出すものなのだろう。
だが、0を1にするのも、1を10にするのも、10を100にするのも、
0+1=1
1+9=10
10+90=100
このように強引に整理してしまえば、足し算的な発想という意味では同じである。
引き算的な発想というのは、例えば以下のようにモデル化できる。
まず10の要素からなる完成品があって、そこから2を引いてみる。
10-2=8
わざと8の状態を作ることで、
「2の代わりに何かを入れてみる」
という方向付け、発想が生まれる余地ができる。
そこから、
8の代わりに2ではなく、乙(おつ)を加えてみてはどうか?
8+乙=10
Z(ゼット)を入れてみてはどうか?
8+Z=10
10を5+5や1+9として把握するのではなくて、8+乙や8+Z、という変てこな受け止め方をあえてする(あるいは、させる)。
という形で提示してみると、そこには、以前にはなかった種類の面白さがハプニング的に生まれる確率が高い。
また、押しつけがましくない形で読み手の好奇心や興味を刺激することができる。
Ⅱ.具体的な例
このブログ内でいうと、
「ブログに関する五十音順メモ」
「濁点・半濁点なし文」
「内容にほとんど触れない漫画評」
などが引き算的な発想からスタートしている。
普通の文章でブログ論を書くのが面倒なので、「五十音順」「箴言風に書く」という制限をかけたもの。
普通の文章から「濁点」「半濁点」を抜くという、機械的な処理をする試みで、一種の翻訳のような遊び。
あらすじや登場人物などについてはほとんど触れない、という縛りの元に批評しているかというとそうでもなくて、漫画そのものの周縁をヨロヨロしているような感じのシリーズ。
個人的にはこれが一番好きで、しかしなかなか書けない。
(続く。次回は小説や美術や商品の例について)