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書くことなし日記:なぜブログを書くのか編

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時々「ブログを書く理由」について書いてあるブログがあって、あれの真似をしてみたいと常々思っていた。

考えてみると理由が三つほどあるので、何かのヒントにでもしていただければ幸いである。

理由その1:馬鹿馬鹿しいことを書きたいから

世間一般のブロガーには「尊敬されるようなことを書きたい」「鋭い意見を世界に発したい」「役に立つ情報を提供したい」という欲望があるように見受けられる。

また、そうした欲望には下心も少々あって「要するに承認欲求なんだろう」とか「要するにPV数を金に換算したいだけの癖に」みたいな批判を受けがちなので、やや気の毒でもある。

そうした動機が私にも5%くらいはあるのだが、メインは「馬鹿馬鹿しいことを書きたいから」である。普段、仕事の上で「間違えてはいけない」「誤解を与えてはいけない」「悪い印象をお客様に与えてはならない」という点ばかり気にしているので、ブログはそうしたプレッシャーのはけ口、心の憂さの捨て所という訳である。

また、もともと馬鹿馬鹿しいことが好きで「人生いかに生きるべきか」的な小説よりはナンセンスな詩集でも読んでいる方が性に合っているので、自然に書くものもそうなってしまう。他の人の書くブログで、呆れるほど馬鹿馬鹿しい文章を読むと、呆れるどころか「生きていてよかった!」と感激して、生きる意志が湧いてくるほどである。

 

理由その2:考えたことを忘れてしまうから

「考えたことを忘れてしまう」というのは、若い頃ほどは考えたこと、感じたこと、観たもの、聴いたもの、読んだものに関する記憶がはっきりしなくなっているということで、それを忘れないようにブログを書いている。一応、メモとしてでも書いておくと、後から読んで「この時点でここまで考えていたのか」という証拠にはなる。考えがゼロから100にまで深まるとすると、2014年の12月1日の時点で34だったのか、67だったのかということを後から思い出すのは難しいのである。

また、はっきりと「考えたこと」以外に、自分で書き残すつもりではなかったことが文章の中に含まれていたりもする。記録するという行為には後から利息のようなものが多く付くケースもあるので、それもまた後々の楽しみではある。

 

理由その3:アイディアを育てるため

イデアは思いつくというよりたどりつくもの」という言葉が小林賢太郎の本の中に出てくる。私も「アイディアは“育てるもの”ではないか?」と、少し似たようなことをここ数年ずっと思い続けている。

 

僕がコントや演劇のために考えていること
 

 

というのは、何らかの思いつきや仮説があったとしても、大抵はそれがいきなり完成形として目の前には現れないものなので、むしろ種に水をやったり、葉っぱを剪定したり、肥料を与えたりするような形で「育てる」ことを意識した方が面白いのではないか、結果として想定外の果実が実る可能性が高いのではないか?……という考えを実践するためにブログを書いているような面が少しあるのだ。

一応、人の目に触れるというのは刺激になるし、全く思いがけない反応があったりもするので、仕事上のアイディアでも趣味でも創作でも「ブログ=アイディアを育てる場」という考え方は有効だと思っている。「考えを深めるための道具」と言ってもいい。はっきりした目的や大義名分が無くても、単にブログを続けるだけで新しい視点がもたらされ、方向性が見えてくる場合も多い。


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