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書くことなし日記:嬉しい編

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ブログに限らず、感想めいた文章を書いていると「好き」「嫌い」、「面白い」「つまらない」といった基準で物事を計測して語ることが多くなりがちである。

対象が何であれ、それに没入している時の感覚というものは、もう少し純粋に「嬉しい」という言葉に近いのではないかと時々思う。

例えば、特定のアイドルA君の大ファンのケメ子さんがいた場合、ケメ子さんの心情としては「A君の歌が好き」「A君主演のドラマが面白い」と本人の口からもそのように説明されるケースが多い。しかし、ただもう「A君を見ているだけで嬉しい!」「A君の存在自体が嬉しい!」と書いた方がケメ子さんの心情の実像に近いのではないか。

損得勘定や価値判断抜きで「純粋に面白い」「純粋に楽しい」というより、もっと原初的な純粋さが「嬉しい」にはある。

ただ、趣味や人づきあいや恋愛にも矢鱈と損得勘定、打算、効率の良し悪しがつきまとうような世の中であるので、「嬉しい」かどうかという観点は見過ごされがちなのではないだろうか。

自分は時々、ブログを書いていて、
「会心の出来!」
と感じるような時があって、そういう時は他人の意見やスターやブクマ数には関係なく、
「やったぜ自分!」
という手応えがあり、とても嬉しい。

そういう訳で、自分の行為に「嬉しい」という感情をどのくらい持てるか、という基準はかなり有効である(何かを始めたり、続けるかどうかを考えたり、やめたりする時には特に)。


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