書くことなし日記:回文作りの効用編 その1

 

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回文を作り始めて一週間ほど経ったが、まだ飽きずに少しずつ作っている。

探してみると回文のブログやサイトがチラホラ見つかるので、参考になる。テレビでもつい最近、「Rの法則」という番組で回文をテーマにしていたとのこと。

番組HPで放送の内容を知ることができた。

http://www.nhk.or.jp/rhousoku/koremade/141209.html

それによると、回文を作ると「集中力」「一時記憶力」「意欲」がアップするらしい。


私の考える回文作りの効用は二つあって、一つは「自分」という鬱陶しいものの存在から解放されるということである。

 

通常「話す」「書く」といった言葉による表現では、モヤモヤした自分の内部にある抽象的で不定形な「言いたいこと」「思い」「考え」が必ず先にあって、それを後から具体的な言葉にするという順番になる。

回文作りの場合は、ある特定の言葉をひっくり返す作業がまず先にあって、その結果から生まれた音やイメージや意味や文法的な制約の下に回文を作る、という風に順番が逆転する。

 

例えば「コンパス」をひっくり返すと「すぱんこ」となる。

コンパスはもともと存在する見慣れた単語だが「すぱんこ」は単に意味不明の、言葉の切れ端である。

そうなると「すぱんこ」の前後を調整したり切り貼りしたりして、意味としての辻褄を合わせるために格闘することになるのだが、結果としてはこんな物が出来上がってしまう。


三塁に我がコンパス、パン粉側にいるんさ


何とか意味をなすように奮闘したのだが、どうにもならなかった。

これは明らかに失敗作である。

 

しかし、失敗するにせよ成功するにせよ、これほどコントロールしづらい、乗りにくい暴れ馬のような感触を言葉に感じるという経験は初めてなので、やけに新鮮でもある。

また、言葉から無理矢理に別の言葉を生ませるような試行錯誤を繰り返しているうちに、いくら頭を絞って書こうとしても出てこないような出鱈目なフレーズやイメージが、結果としてポンポン出てくるという面白さもある。連想とか空想という範囲を大幅に越えた飛躍が、作業の中で常に出てくる。

 

総じて、普通の文章を書く際につきまとう「自分」というものが、回文作りの作業にはほとんど入ってこないのである。「自分を表現したい!」と思っている人にとっては、そんな作業の何が面白いのか理解できないかも知れないが、私は自分の書く文章に常につきまとう「自分」に飽き飽きしている面があるので、無心に料理や工作に没頭している時のような清清しい解放感を味わっているのである。

 

(効用の二つ目は次回に)

 

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