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俳句の本を読む:「機嫌のいい犬」川上弘美

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「機嫌のいい犬」は作家の川上弘美が出した句集で、私が初めて全て読んだと言える句集であった。以前にも少しブログで紹介したことがある。

 

機嫌のいい犬

機嫌のいい犬

 

 

その後あれこれと俳句の本を読むにつれて、理解が深まったと思える句もあれば、かえって謎が深まった句もあるので、今回はそのあたりの付け足しを少し書いておくことにする。

 

hint.hateblo.jp

 

まず理解が深まったように思える句について。

川上弘美の句は概ねどれもシンプルで分かりやすいのだが、それでも、

 

 

森閑とプールの底の消毒剤

 

 

この句の単純性には驚いた。本当に何も言っていない句で、俳句とはここまで主張や捻りがなくてよいものなのかと呆れるような気にもなった。しかし、読み終えた直後からずっと気になって、頭から離れない句でもあった。

模範解答的な、教科書の解釈風に考えると、この句にはにぎやかなイメージの大きなプールと、その底にある小さな消毒剤という対比があるし、「森閑」という表現から考えれば、やはりプールとの対比で「自然-人工」という構図も含まれている。

だが、頭では整理できても、本音の部分では今ひとつ掴みきれないような気でいた。

俳句に限らず、目から情報が入って、頭で何となく「良し悪し」「好き嫌い」を判断してお終い、という程度の創作物が多い。大抵の文章も俳句も、煎じ詰めれば読んでただ忘れるだけの情報に過ぎない。

 

ただこの句だけは例外的に、いつまでも気にかかって時々思い出して、いわば頭の中で反芻しているような状態が続いた。そのうちに、いつの間にか胸や、心臓や、胃のあたりにまで届いて、体の中のその辺りの部分にまで来ていたのであった。

俳句について読んだり書いたり考えたりしている時間の、はっきりしないがどこかの時点でこの句は水滴のようにポチョンと、腑に落ちていたのであった。

そういう訳で「読書百遍」と言ってもなかなか百回も何かを読めないのであるが、俳句には時々そういう理解の仕方が訪れるのだ、ということを経験した。

何を理解したのかを説明するのは難しいが、同じように「プールの底の消毒剤」をイメージしたとしても、私がこの句から感じる消毒剤の存在感は、初めて読む人よりもずっと重くて硬く(そして表面は脆く)、影の色は濃いものになっているのだという確信のようなものがある。

 

逆に、いつまで経っても評価を定めかねる句もある。

 

  

はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く

 

 

普通に考えるとこの句は句集全体の中でも一、二を争うほどの名句だと思うのだが、仮にこの句が団鬼六渡辺淳一の句であったらどうかなとも考えてしまうのである。

「どこ見てんだよ、このエロ爺い!」

と思われてお終いのような気がする。俳優の奥田瑛二はこの句を大絶賛したと雑誌に書いてあったのだが、その辺りをちょっと質問してみたい。

俳句は短いだけに、些細な要素で句の意味が大きく左右されるという弱さがあって、どうにも土台がグラグラしているように思える。


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