俳句の本を読む:「疾走する俳句 白泉句集を読む」中村裕

 

 

渡邊白泉の代表句「戦争が廊下の奥に立ってゐた」を初めて知ったのは自分が二十歳の頃である。

この句の「いきなり」な感じは強烈で、しかも思わず笑ってしまうような衝撃と、じめじめした不吉な暗さが同居している。本書はその白泉の句から百句を選んで、一句あたり一ページの解説を付したコンパクトな本である。このくらいの量だと読みやすく、作られた順に並んでいるので評伝を読むような趣もある。

 

疾走する俳句―白泉句集を読む

疾走する俳句―白泉句集を読む

 

 

幾つか印象的な句を挙げると、

 

 

街燈は夜霧にぬれるためにある 

 

 

これなどは「街燈」「夜霧」という組み合わせが昭和三十年代の歌謡曲を思わせて大した句ではなさそうだが、昭和九年の句であると知ると見方が変わる。

 

 

ハルポマルクス見に起重機の叢林を

 

 

マルクス兄弟の映画を観に行くこともあったという。この時期、白泉と親しかった西東三鬼には「ハルポマルクス神の糞より生まれたり」という句もある。

その後は産まれた子供の死があったり、新興俳句(京大俳句)弾圧事件で逮捕されて執筆禁止になったりと大変な時代を過ごすことになる。

 

 

玉音を理解せし者前に出よ 

 

 

これは昭和二十年、敗戦時の句で「前に出よ」という軍隊の慣用表現をわざと使うという痛烈な皮肉である。多くの作家や俳人が翼賛的な作品を書いていた時代にこれはなかなか詠めない。

 

 

石段にとはにしゃがみて花火せよ

桃色の足を合はせて鼠死す

 

 

読んでいるうちに白泉の人となりが何となく見えてくる。孫悟空と素戔嗚尊とドン・キホーテが好きで、戦後は高校の社会の先生になり、俳句のことは周囲に言っていなかったというが、生徒や学校を詠んだ句も少しある。

 

 

ゆく春やむかし悟空は五行山

おしっこの童女のまつげ豆の花

 

 

お勧め度は☆3つと4つの中間くらい。

ところでこの本の書評が「週刊俳句」にあって、そちらはかなり詳しい書評になっている。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_8891.html

 

この「猫髭」という人の文章はどれも面白くてためになる。この書評を読むともう本そのものを読む必要がなくなるのではと思うほど詳細かつ適確で、著者の他の本にまで言及している。行き届きすぎていて勧めにくいがお勧めである。