書くことあり日記:石の主張

 

 

皆さん。

古来、我々は決して、紙などに負けてはいないのです。

 

皆さんどうか、どうか我々ども石と、あの憎い紙とを。

石と紙とを、冷静にあなた自身の頭で、比較してみて下さい。

 

たとえばの話です。

 

陽射しのうんと強い場所に、石と紙を並べて置いてみましょう。

その耐久力、耐熱力。

数時間で決着がつくでしょう。

石の勝利です。

 

あるいは水の中に、石と紙を浸してごらんなさい。

その耐久力、そして防水力。

瞬く間に、決着がつくでしょう。

やはり石の圧勝です。

 

はたまた、風の強い日に、石と紙を庭先に並べて観察してみましょう。

その揺るぎなき耐久力、防風力。

むしろ、つい紙の上に石を置いてしまいたくなるほどの、明らかなその力量の差を実感できるはずです。

 

そして次に、大きな状態を考えてほしいのです。

大きくなった石というものをです。

そう、中学校の校庭を塞ぐほどの巨石です。

そこに同じくらいの広さの、大きな紙。

如何でしょう、何とも貧弱で薄っぺらなその姿は?

哀れで見ていられないほどです。

 

そして時間です。

時間というものに、風雪というものに、石はじっと耐えます、こらえます。

三年でも、三十年でも、三百年でも。

三千年、三万年、あるいは三億年でもです。

 

それにひきかえ、紙はどうでしょう?

酸性紙、すぐにボロボロです。

たった数十年すら我慢できない、その根性のなさ、だらしなさ。

目を背けたくなるような軟弱さ、ひ弱さ、薄っぺらさ。

 

皆さん、拍手をありがとう、ありがとうございます。

 

そうです、我々はいま一度、根本的に問い直したいのです。

「覆うこと」は勝ちなのか?と。

「包むこと」は勝ちなのか?と。

 

雨の日に、傘は人に勝っているのか?と。

包み紙は飴玉に勝っているのか?と。

服は人に勝っているのか?と。

みかんの皮はみかんの実に勝っているのか?と。

覆面レスラーは覆面に負けているのか?と。

 

もし百人の人間が集まって、半分は石を持ち、半分は紙を持って、殴り合いの戦いをしたらどうでしょう?

今日はひとつ、本気で殺し合いをしようじゃないかという、その時にですよ。

一体あなた方は、どちら側の軍勢に加わりたいのですか?

今日のお話は、そういう話なんです。

頭から血を流してからでは、遅いのです。

石で頭を殴られて、脳震盪を起こしてからでは、もう手遅れなのです。

そのように、お考え下さい。

ぜひ胸に手を当てて、いま一度、真剣にお考え下さい。

 

グーはパーに勝ちます。

というよりもう、勝っているのです。

今日からそのようなルールになります、いえ、そのようなルールにさせるのです。

我々と共に戦いましょう。

"JUST DO IT"です。

革命を起こしましょう。

Yes, we can !” です。

そうです、開いた手をグッと握り、真実をこの手につかむのです。

 

グーはパーに勝つ、必ず勝つ。

これをじゃんけんにおける全日本、いや世界共通のルールとします。

文句があるのなら、我々のルールでじゃんけんをしましょう。

あいこの場合はもう一回、いや何度でもやってみようではありませんか。

我々は必ず勝ちます、勝ってご覧に入れます。

皆様に必勝をお約束いたします。

 

あたたかいご声援、ありがとうございました。

 

*追記:「カクヨム」の方でも主張しております。

 

kakuyomu.jp


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