最近はそうでもないが、私が中高校生くらいの頃は、やたらと批評の世界で「死と再生」という言葉が目についた。
「この小説は “ 死と再生 ”をテーマにしている!」
などと書いてあると、それだけでもう大した作品として土下座しなければいけないような、強い威光が放たれているようであった。
擬死再生ともいう。儀礼的,象徴的な死とそれに続く誕生 (再生) のこと。世界各地の諸民族の大部分にみられる通過儀礼において顕著な特徴である。ある社会的地位や位置,集団から,別の社会的なそれへと移行する際,その移行が円滑に行われるために,移行する人は一定期間社会から,すなわち帰属すべき双方の集団や状態から隔離される。
それを理解するために文化人類学とかユング心理学とか、通過儀礼とか輪廻転生とか、山口昌男とか大江健三郎とか、色々とややこしい本を読んだものであった。その後もエヴァンゲリオンとかもののけ姫などは、この線であれこれ論じられることが多かった。
しかしいま思うと、もっと以前の「帰ってきたヨッパライ」は、「死と再生」をテーマにしている……、どころかそのものである。
さりげなく「Good Day Sunshine」からピアノのフレーズを引用する軽さなど、見習ってお手本にしたいほどの素晴らしさで、少しも古臭さがない。
これを自分のテーマソングとして、できることならヨッパライのように天国でダラダラして、挙句に追放されて生き返ってみたい。
今週のお題「私のテーマソング」