以前「赤めだか」について書いた際に談志の、
「いいか、落語を語るのに必要なのはリズムとメロディだ。」
という台詞を引用したが、日常生活の中でもリズムとメロディ的にそっくりだなと思うような現象が時々ある。
例えば、ニュースで政治的なデモの映像を見ていると、
「なーんとかはーんたい!なーんと-かすーるな!」
と先頭の人たちが大声で叫んでいた。
これは絶対にどこかで聴いたようなリズムとメロディだなと思ってよく聴いてみると、
「押-しくらまーんじゅう!押-され-て泣-くな!」
と全く同じなのであった。
この人たちの列に紛れて、一人だけ押しくらまんじゅうに関する主張を叫んでも、誰も気づかないのではないだろうか。
また車を運転していて、右折する車が一列に並んでいる状態を斜めや上から見ると、ウィンカーが少しずつずれながら、それぞれの決まったリズムで点滅している。
ある車はカッチッカッチッカッチッカッ、というリズムで、別の車はカチカチカチカチカチカチカチ、というリズムで、また別の車はそれよりずっと遅く、といった具合になっていて、全く揃っていない。
漠然と見ていると奇麗なようでもあるが、それは凡人に限った話で、リズムに敏感な人にとっては耐え難い不快なリズムの複合になっていて、匂いで言えば悪臭、料理で言うなら闇鍋のようなものかも知れない。