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観た映画:「この世界の片隅に」

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評判の高い「この世界の片隅に」をお正月に観てきた。普段まったくアニメを見ないので、他の人の感じているこの映画の良さや、評価ポイントとかなりずれがあるような予感がする。

アニメどころか、そもそも二時間もの間、まったく退屈せずに映画を観るということが年々難しくなっているのだが、この映画は変な余韻を与えようとせずに、一つのエピソードからサッと次のエピソードに進むところが良かった。

これがNHKのドラマ等の場合、エピソード毎に「目を細めて海を見つめている主人公のアップ」とか「陽光にきらめく港の様子(全景)」とか、わざとらしく感動を煽る大仰なBGM、わざとらしく飛んでくるカモメ、などがてんこ盛りになって迫ってくる。この作品のようなテンポであれば見ても苦にならないのだが、テンポというものは見てみないと不明なので困ってしまう。

 

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

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自分が持っている戦争の知識というものは、学校で習ったこと以外では概ねドキュメンタリー映像や書物によるものが多い(ノンフィクションや知識人の日記、とりわけ山田風太郎の「戦中派不戦日記」以降何冊か、小説は大岡昇平など)ので、女性の「銃後の生活」というものはそれよりもっと間接的にしか知らない。

 

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)

 

 

俘虜記 (新潮文庫)

俘虜記 (新潮文庫)

 

 

戦争を直接知っている訳でもないのにこういう感想を持つのは変な話だが、映画やドラマで描かれた太平洋戦争の、特に戦時下の生活というものはいま一つ迫力に欠けるというか、薄味の嘘の表現が多かったように思う。

例えば空襲を表現するにしても、どこかセット然とした防空壕が急に出てきて、わざとらしくボロボロな防空頭巾に頬を汚くした俳優が並んで、粗雑な揺れ方でもってグラグラッとなって、申し訳程度の砂がパラパラ落ちてきて、そこで子役が棒読みで「怖いよー、えーんえーん」なんて言ったりする。そこに資料映像が混ざったりして、何となく表現としての緊張感がないような、それでも「空襲」や「飢餓」「物資の不足」を前にして退屈と言ってはいけないような雰囲気に支配されていたりもする、そういうものだった。

この映画の場合は、日常を描いている時のノホホンとした絵がそのまま非日常を描く絵と繋がっているので、防空壕の揺れの激しさや爆撃の弾のスピードが実に恐ろしく感じられた。兵器に本物の殺意や悪意が込められているような、見ていてヒヤリとするような怖さが随所にあった。それはこの作品の表現力がずば抜けているのか、この作品に限らずアニメ全体の表現技法が進歩しているのか、あるいは東日本大震災の記憶と重なるせいなのか、単に自分が年を取っただけなのか、どうも判然としない。

個々のエピソード自体は、例えば気持ちが伴っていないのに嫁ぐことになる主人公だとか、やがて時間をかけて本当の夫婦になるだとか、旦那の姉との対立と和解、遊郭の女性との出会い等など、朝の連続テレビ小説風の道具立てで珍しくないのだが、主人公の声と音楽、アニメならではの柔らかい動きがうまく調和して説得力と安心感を与えてくれていた。それだけにまた一層、終盤の展開が引き立つのであった。

 

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