Jの悲劇

 

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アルファベットは、紀元前の北セム文字が起源とされている。

「I」の元になった記号の存在は早い段階から確認されているが、「J」はかなり後になってから「I」から派生して成立した。両者が厳密に区別されるようになったのは、ようやく14世紀以降のことである。

つまり、千年以上もの間、あやふやだった文字が「J」なのである。

その歴史の影には、悲しくも意外な、そして大胆かつ数奇な運命を辿ったひとつの文字の姿があった……。

 

紀元前からチラチラと、何となく存在していた大文字Jの夫婦は、西暦で百年ほどが過ぎてからも、一向に曖昧な形のまま日々を過ごしていた。

Jは夕食を食べ終えるや否や、ゴロッと寝転がった。

 

「ちょっとアンタ!そうやってすぐ横になるんだから!」

J「そうガミガミいうなよ……」

J「不健康だよ!」

J「そう堅いこと言うなって……」

J「大変なことになっちゃうよ!」

J「いちいちうるせえよ!」

J「妻として、アンタのこと心配して言ってるんだよ!」

J「でかい声でわめきやがって、子供じゃねえんだからいいだろ?」

J「もう、本当に知らないよ!」

つ「どうせ俺なんか、いつまで経ってもIより低い身分の下っ端だよ!」

J「もう、ひねくれちゃってさ……」

つ「レギュラーに昇格できねえ俺っちはよ、こうやってゴロゴロしてるのがお似合いだってんだよ!……ん?……あれ?」

J「ほーら見な!とうとうバチが当たったんだよ!」

つ「あれ?何だか、体が……」

J「何だい、その緩みきった、ボワーッとした体つきは?それでも男かい!」

つ「何だかグニャグニャして……起き上がれねえ……」

J「ほら、自分の姿を鏡で見てみな!」

つ「ミミズになっている!」

J「形が変わっちまったアンタなんかもう、夫でもアルファベットでも何でもありゃしない!出ていきな!」

つ「ちきしょう、俺はこの格好で這ってでも生きていくぜ……」

 

こうしてアルファベットのJは「つ」となって、緩みきった体をミミズのように横にくねらせ、あるいは尺取り虫のように縦にくねらせながら旅に出た。

醜い異形の姿となったつは、アルファベット族の目を避けるようにして長い孤独な旅を続けた。

ある寒村で、たまたま小文字のaやdやkらが遊んでいた。つの姿を見ると、子供らしい興味を持って、近くまで駆け寄ってきた。

 

a「おじちゃん!」

つ「何だい?」

a「何でそんな格好してるの?」

つ「おじちゃんは……、その……。悪い魔法使いの力で……、こんな姿にされてしまったんだ」

a「本当に?」

つ「おじちゃんも、昔はアルファベットの仲間だったんだよ」

a「でも、どことなく形がブヨブヨだよ?真っすぐ感に欠けているよ」

つ「一員になりかけていたんだ。本当だよ」

a「まさかー!」

d「デタラメだよ!」

k「嘘つきだ!石を投げてやれ!」

つ「無理もない、このような醜悪な姿であっては……」

 

この件があってからというもの、つはますますアルファベットの少ない地域を放浪するようになった。

文字としてのプライドをかなぐり捨て、時には釣り針の絵を描いた図鑑に、釣り針のような顔をして紛れ込んだ。

またある時には、落書きに描かれた女性の胸や尻、もっと微妙な箇所の曲線として働くことも厭わなかった。

つは、自分自身が何を求めているのかも分からずに、ただ衝動の赴くままに放浪を続けた。それは呪われた者の罪滅ぼしの旅であり、差別からの逃避行でもあり、運命による導きの道を歩いているようでもあった。

長い時間をかけてアラスカからベーリング海峡を渡り、ロシアを経由してオホーツク海を越えて、やがて日本へとたどり着いた。

つが北海道の寂れた漁村を当てもなく歩いていると、話しかけてくる文字があった。

 

あ「ああ、そこの君!」

つ「俺のことか?」

あ「君はユニークな格好をしているなあ?」

つ「お前の方こそ、ロシア文字にゃ見えねえルックスだぜ」

あ「ここがロシアだと思っているのか?」

つ「違うのかよ!」

あ「ここは日本という国だぞ。文字も異なる」

つ「何だと?いつの間に……」

あ「一体、君はどこから来たんだ?」

つ「過去のことは覚えちゃいないぜ」

あ「何を目的に彷徨っているんだ?」

つ「風の向くまま、気の向くままって奴さ」

あ「それなら、俺たちの仲間になってくれないか?」

つ「仲間だと?組織の下っ端になるのだけはご免だぜ」

あ「実は、今度『ひらがな』っていう新しい文字のグループが誕生することになっているんだ」

つ「新しいグループ?」

あ「ああ、漢字という複雑な文字の集団から脱却した、いわば選抜メンバーとして将来を期待されているグループなのさ!」

つ「どんなグループだよ?」

あ「より親しみやすく、書きやすく、情緒纏綿とした表現を可能にして、平安時代の日記、随筆文学を盛り上げて、将来的には子供がまっ先に覚える文字になろうぜって、メンバーみんなで話してるんだ」

つ「俺が……その中に……?」

あ「メンバーみんなが団結しあい、成長できる明るい職場です!まあ、中には脱退から独立を計画しているような、ゑとかゐみたいな奴もいるがな……」

つ「上手く計画通りに行くのか?」

あ「ああ、最初は主に貴族の女性をターゲットにして、そっちを攻めてからだが……。その第一期生として、お前の力を貸してはくれないか?」

つ「俺は今まで、数えきれねえほど恥の多い過去を背負ってるんだぜ……、かれこれ生まれてから数百年、アルファベットから脱落しちまった、年季の入ったはぐれ者の身で……」

あ「ああ?そんな理由は、理由ですらない!」

つ「何だと?」

あ 運命を変える力は、あなた自身の中にある!誰かに決められた期限なんてない!

 

つは、あの言葉に感銘を受けた。

考えてみればJだろうがつだろうが、形そのものが古びたり新しくなったりする訳ではない。いつ、どこでスタートを切っても関係などないのだ。仮に失敗しても、また釣り針の物まねや春画でアルバイトでもすればいいだけの話である。

こうして、つは長い旅路の果てに平仮名の一員となり、現在に到るまで千年以上も活躍を続けている。

 

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