節目

 

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 幼い頃、余の家族は毎年の夏を田舎の親戚宅で過ごしたものだ。
 古びた家屋の天井には巨大な節目があった。ある晩、節目の総大将のようなそれと目が合ったような気がした。文字通りの「目」として、じっとこちらの様子を伺っているように思えてならない。布団の上で怖くて動けず、そのまま眠ってうなされ、悪い汗をかいた。
 木材には流れる雲のような美しい木目の曲線があり、昼になってから見上げてみればその所々に渦のような節目が大小幾つもある。いずれも禍々しい節目軍団の子分のように思えてならなかった。ちらとでも目を向けると、また怖くなる。目を背けてはまた見る。怯えては立ちむかい、制圧されてはまた挑むという一人相撲であった。
 小学校も高学年となれば、当初の恐怖心は薄れてくる。ビクビクと怖がっていた反動か否か、余は次第に親戚宅の節目のみならず、あらゆる木材の節目や、それと似た渦や眼球にも過大な関心を持つようになった。授業中は、恋にも似た気分でノートの隅に目玉の絵ばかり描いていた。
 梟。一つ目小僧。達磨。蝶や蛾の羽の目玉模様。台風発生時の天気図。病理学の本で発見した単眼症の羊の写真。それらは中学生の余を恍惚とさせ、さらに大きな目を持った顔貌に強く惹かれるようになった。榎本健一、川端康成、勝新太郎、十二代目市川團十郎、仲代達矢、鳳蘭、木の実ナナ、それにマイルス・デイヴィス。
 ある時、若い女の担任教師が感銘を受けた言葉として、
「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」
 と得意げに黒板に書いた。有名な小説にある台詞なのだという。しかし余は木材の節目を呪う気にはなれず、殺す、争うと言われても何をどうすればよいのか不明であり、じっと木造校舎の床の節目を見つめるのみであった。


 数年後、大雪の日に大型トラックにはねられた余は、人間としての生を唐突に終えた。
 半球状の穴にするりと意思が流しこまれたような感覚が起きて、その意思は余であった。死してなお存在する不安定な余は、本来あるべき場に過不足なく収まったかのように、ここに節目としての安定的な居を得た。緩急や高低や終始のある動的な生から、単調で静謐な連続のみを繰り返す生へと転換を遂げたのだ。

 どうやら死んだ瞬間に節目界の大物からスカウトされ、消えかけていた意識を引き上げられて、小さな寺院の柱へと置き直されたものらしい。間接的にそのような事情を知るのは、長い修行の期間を経てからのことであったのだが。
 かくして節目となった余はじっと一点を見つめたまま、微動だにせず時の流れの中で存在を続けた。
 時折、以前の余と同じくじっとこちらを観察している子供がおり、射的か何かと勘違いしたらしく矢を放つ子供もおり、足の裏で蹴りつける子供、抱きついて登ろうとする子供、絵を描く子供など様々である。
「こっちを見ているみたいだね」
 然り、だがそれを伝える術はなく、余は振動として声らしきものを感知するのみ。概ねそのような平穏な日々であった。
 あるいは瞑想に耽っていたのか、気絶していたのか、過去の記憶は遠くなり近くなり、波のように寄せては返し、寄せてはまた返し、それらは溶解し融合し、定かではなくなっていく。「ゆうらん船の、ゆうらんって何」「ゆうらん、って進むからよ」かつて母親であった存在の声を覚えている。ゆらゆらとたゆたい、揺曳し、遊泳し、遊覧船にでも乗っているかのような日々であった。


 転機は突然に訪れた。視界に数名の屈強な男どもが通りすがる機会が増し、やがて襖や天井板が取り払われる。余は迫り来る運命の荒波を予感し戦慄した。天気のよい春の日の午後、ふと振動を感知して意識の密度を高めてみると、しゅううううっ、しゅうううううっ、と感じ慣れない音に襲われ、世界と視界が何層にも重なり合っている。薄く淡く、少しずつずれた幾つもの世界は多にして、かつ同時に一つのままで存在を止めない。余の視界には、複数の余の姿が頻繁に入り込む。余の意識が増殖したのか、それとも世界が分裂したのであろうか。余は混乱した。
 真相はつまり、鋭い刃物によって、柱の節目であった余は薄く削り取られてしまったのであった。余は何枚もの、紙の如く薄い余となり、視線の数や角度は飛躍的に増した。より広く全方位的な視野が得られたのであった。人間であれば惑乱のあまり、深い昏睡状態にでも陥るところであるが、この試練を乗り越えた余は、より明晰で冴え冴えとした自意識を獲得するに至ったのである。
 余は薄く切断された後、何者かの手によって、ぐにゃぐにゃした形状の箱に貼り付けられた。あらゆる角度からその過程を立体的に眺めつつ、余は一個の作品として再集結した。箱の内側にも外側にも、四方八方、いや十六方三十二方、六十四方の自乗のそのまた何乗もの方向に余の視線は向かっている。ある余と別の余は視線が正面から向き合い、そのままずっと見つめ合い続けた。別の余は窓の外や遠くの景色を眺めた。また別の余はじっと闇を注視し続ける。視界そのものがぐにゃりと歪んでいる余もあり、拡散的な視野を持った余もあった。不平等ではなく、いずれも皆、紛れもない余であった。
 大勢の人々が余の周囲を定期的に通り、じっと見つめ、ある者は「ううむ」と唸り、ある者は首を捻り、黙考し、余に見られているとも知らずに過ぎ去ってゆく。一体この、穏やかな色に囲まれた清潔な空間は何であろうか。


 ある日のこと、余を熱心に眺めている老婦人がおり、その帽子には孔雀の羽根が挿してあった。目玉模様と、余の複数の目とが合った。
(もとは人間だったようだな)
 思念の波が寄せてくる。
(肯定)
 こちらの意識は充分に伝わりきれておらず、見えない壁で遮られているようであった。
(人間として生きてから目玉衆の一員となって、ここへ連れて来られたのだろうな)
(場所?)
(ここは美術館だ。君は展示されている)
(驚嘆)
(知らなかったのか?君の考えは微弱にしか伝わってこないのだが、どうやら第三段階にあるらしい)
(段階?)
(おそらく、高次の目玉衆に引き上げられたのだろうな)
(理解)
(君はこの先のことを気にしているのだな)
(肯定)
(未来にばかり意識を向けているから、未来が来るものだと考えることになる)
(当然)
(教えてやろう。それは、もと人間に特有の思考だ)
(驚愕)
(君の意識を一定の速度で未来に伸ばすから、一定の速度で未来が来ているように感じられるだけなのだ。未来だけではなく、意識を過去にも向けてみるのだ)
(困惑)
(そうすれば、未来と同様に過去が来る。そして、それ以外の時間も現前する)
(困難)
(難しくはない。ちょうど、君の視線が一つだった頃、今のように四方八方に視線が向いている状態を想像できなかったようなものだ)
(不安)
(目玉衆は生命力が強く、あまねく存在しながらも繊細で脆いものだ。だが君ならもっと大物にスカウトされるか、あるいは後継をスカウトするか、両方できるかも知れないぞ)
(得心)
(生あるものは皆、そのように生を継いでゆくものなのだ。それが真理だ)
(真理)
(そろそろお別れだな。目玉衆は移動が苦手だから困る)
(惜別)
(忘れるな……、最高次の渦状星雲の親分が君を見ていることを!)
(星雲!)
 かくして余は、目玉衆の過去や未来、そして余の置かれた立場の概観を与えられた。興奮と感動のあまり、大粒の涙を全身に浮かべて、この邂逅に感謝した。
 実に余はその後、数千年もの長きに渡り、渦状星雲を想い続け、夢に思い浮かべ、修行の日々を続けたのであった。