小説では筒井康隆の「残像に口紅を」がまさに引き算小説とでもいうべき実験作で、話が進むにつれて作中で使用可能な音が減ってゆく。
この小説の方法や内容は様々な形で後の世代の作家に受け継がれており、物体が消失する「密やかな結晶」や、ごく最近でも円城塔の「Φ(ファイ)」は同じ系列に属するもののようだ(後者は未読)。
美術の世界には、もっと適切な例がマルセル・デュシャンの作品にある。
それは「モナリザ」の絵葉書にひげを書き加えた作品『L.H.O.O.Q.』で、まさしく足し算的な発想の作品である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/L.H.O.O.Q.
さらにこの後、一般に売られているモナリザの複製画に「髭を剃られたL.H.O.O.Q.」と書き加え、自分のサインをしたものを発表してもいる。
これはまさしく引き算的な作品で、引くことによって元に戻したというより、見る人の意識を別のものに変えてしまっている。
商品の例としては「かかとのないサンダル」が最もわかりやすいのではないか。
かかとの部分がないことで、ダイエットに役立ったり健康になったりする。
こういう発想法で何が出来るか、もう少し応用的な例を具体的に考えてみると、
仮に「和食」というテーマで何かユーモアのある文章を書くことになったとする(あるいはイベントの案でも、旅館のサービスでも、ショートフィルムの脚本でもいい)。
足し算的な発想で行くと、
【和食+カレー味】
というアイディアから、
味噌汁のカレー味、鮭のカレー焼き、味付け海苔のカレー味、梅干しのカレー味、ご飯をカレー炊き、カレー漬物、カレー寿司、カレーの天ぷらなど……。
いくらでも出てくる割には、古いタイプの面白さのような気がする。
何となく昭和末期の漫才師が好んで話すようなアイディアである。
引き算的な発想で行くとすると、ノーマルな「和食」という状態から何かを引く。
【和食-箸】
のように「箸がない」という出発点を一つ作ると、
ナイフとフォークで食べるとどうなるか?
手づかみで食べた方が美味しいものは?
箸の代用品を探すとしたら?
わざと折れる箸を作ってみてはどうか?
おみやげとしての箸はどうか?
和食との関係以外の箸の使い道は?
といった形でいろいろと考えることが可能になる。
こういう線で文章を書いてみれば、平成二十年代のコントか、ビジネス書っぽい雰囲気くらいにまでは進歩しているようである。
Ⅲ.その他の考えの断片
①
「足し算でも引き算でもないようなアイディア」というものもある。
足し算のようだが足し算になっていない、引き算でもない。
例えば、ご飯におかゆをかける(おかゆライス)。
トマトにトマトケチャップをつけて食べる。
六甲のおいしい水をボルヴィックのミネラルウォーターで割って飲む。
1足す1がまた1になるような感じ。
1+1=1。
②
穴埋め的文章。
文章表現の上で、言葉の選択に迷った時、国語の問題文のように< ① >としておいて、そのまま発表する。
読み手は考えるが、答は特にない。
③
引き算をして、さらに引き算をして、引き算をすると、ある時点で最初の完成品とは似ても似つかない何かになる瞬間が訪れる。
それはどの時点か?
例えば、
映画の場合、カットの限界はどこか?
小説の場合、小説からある人物を引いたら?
小説からある文章を交互に引くゲームができるかもしれない。棒倒し(砂を崩す)のように。
④
ブログで言うと、テーマを絞る(引く)ことで、かえって書きやすくなる可能性はある。
例えば、
主婦が日常生活全般について書いているブログから、和物だけに話題を絞って書くようにする。
和物だけから着物の話題だけにする。
着物だけから帯だけ。
帯だけから模様だけ。
模様だけから色だけ。
と進んでいって、行き詰まったらまた日常生活全般に戻す。
これを定期的に繰り返すと面白いかもしれない。
⑤
引き算の発想は、もっとシンプルに、
「もし◎◎が存在しない世界だったら?」
「もし急に〇〇が無くなったら?」
「△△のない場合、何を使ってどうする?」
という問いの形にまで単純化できる。
⑥
引き算の仕事術
引き算の思考
など、検索すると似たような言葉が出てくるが、これは用途を削る、手順の省略、欲望を抑えるといった内容で、共通点があるような、ないような感じでまだ整理がしきれない。