以前、枡野浩一という歌人が「かんたん短歌blog」というブログで短歌の指導を行っていたらしい。
その2004.04.22分に以下のような講義があった。
ここでちょっと講義。
べつに枡野浩一ひとりで確立した文体ではないと思いますが、昔こんな短歌をつくりました。冗談はさておきという一言で気づきましたよ 冗談ですか (枡野浩一)
……で、佐藤真由美さんがその文体を引き継いで、こんな傑作をつくりました。
この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね (佐藤真由美)
この傑作をわざと失敗作につくりかえると、こうなります。
口紅のついた煙草をあくまでも俺が吸ったと言い張る男 (失敗作)
ね、駄目でしょう? この失敗作を私は「あらすじ短歌」と呼んでいます。
新聞歌壇なんかには、「あらすじ短歌」と呼びたい作品がたくさん掲載されています。皆さんはぜひ、「あらすじ短歌」からの脱却をめざしてください。*
さっきまで泣いてたカラスがもう笑う 悲しみなんてほんとでウソだ (オカザキなを)オカザキなをさんの新作。
「悲しみなんてほんとでウソだ」というフレーズはいいのですが、前半が単なる説明になってしまいました。もうひと工夫!http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2004/04/post_3.html
「説明」がよくない、「あらすじ」的な短歌はダメという点は自分でも分かっているつもりではいるのだが、どう直せば良いのかがもう一つ掴めない。
「説明しなけりゃいいんだろ?」
と思って詠むと、体言止めが多くなってしまい、結局のところ圧縮したあらすじのような短歌になる。
時間的になるべく短い、できれば一瞬の出来事や感覚を詠めばそれっぽくなるという気はするし、「原因と結果だけを示す」「因果関係の無い二物の提示」「動きや色や触感」などがポイントになるのかなとも考える。
ここ数日は、単に語順の問題のような気がしてきた。
ほとんどの初心者は、
何が・何は → どうした・どんなだ・何だ
という主語→述語の順番で書く方法に慣れきってしまっているので、短歌を詠む場合も「何がどうしてどうなった」「何とかはこれこれの何々である」という文章をそのまま五七五七七の枠内に書き直しただけになりがちである。
そこで、わざと語順を崩して、ひっくり返したり誇張したり、一部だけ省略したり、あえて何も書かなかったりすると「上手な短歌」風の格好がつくような気はする。先に引用した「~なのね、~なのね」のように、似た形を二回並べるのも一つの手である。
さうぢゃない 心に叫び中年の体重をかけて子の頬打てり 小島ゆかり
これは私の好きな短歌で「あらすじ短歌」ではないが、誰と誰がどういう風になって何をしたのかまでの流れや状況がよく分かる。そして勿論「誰がどうしてどうなった」かという細々した説明はない。
こういう風にさらっと多くが伝わる短歌は見事だなとは思うが、ただ感心するだけで、まだまだ細かい技法までは読み解ききれない。