たとえば蜂飼耳のエッセーを、勝手に「これは高野文子が書いたエッセーだ」と思い込んで読む。
「さすが高野文子は天才だ」
などと感心しながら、自分で自分を騙し、自分で自分に演技しながら読む。
自分で自分に酔いながら、少し醒めてもいる。
そのように読み進めていくと、不安定ながらも一応は最後まで読めたりする。
奇妙で面白い。
数学の証明のように「成立する」か「成立しない」かを確かめながら読むような読み方で、いわば探り読みである。
「こんな言い回しは、高野文子なら絶対にしない」
という文章が出てきたらお終いとなる。
一歩一歩が、スリル満点の読書法である。
一行一行を、読者が再創造して読むようなものだ。
ただ、ある程度は最初から似ているっぽい人を選ばないといけない。
そこがもう既にセンス勝負である。
何の勝負だかよく分からないが、いうなれば自分と自分との戦いである。