「何も起きない系」とでもいったアートっぽい雰囲気の映画で、ひとことで言うと主人公の空虚さを描いたもの。
しかしながら主人公の男があまりにもセレブで、金も地位も名誉もあり、金髪の美女に飽き飽きしていて、しかも別れた妻との間にいる娘がエル・ファニングなので、少しも同情できず共感もできない。
観客がこの主人公に同調するためには「そうは言っても普通の皆さんと同じ面もあるんですよ」とアピールしたり、少し匂わせたりしないといけないのだろうが、そういう引っ掛かりどころが無かった(そこがアートっぽいところだから仕方がないが)。
手っ取り早く共感の呼びどころを設定するとしたら「娘が年頃で、反抗的で困ってます……。そこは庶民の皆さんと全く同じなのです……」という線だろう。しかし娘はまだそこまで成長しておらず、いわば反抗前夜とでもいった年頃なので、一緒に遊んだりドライブしたりしているうちに最後まで行ってしまった。
よって最後の方で「俺は空っぽなんだ」とか言われても同情できなかった。まるで大食いコンテストの優勝者が「お腹が一杯なんだ」と言って泣いているようなものだった。
空虚さという点では以前観た「マイレージ、マイライフ」の方がずっと自分には深刻で重かった。「胸に穴が開いた」というより、ほとんど自分が穴そのものになったかのような虚しさだった。
と書いていて気づいたのだが、「ペーパー・ムーン」と「マイレージ、マイライフ」を足して表面的な面白味を全部剥ぎ取ったのが「SOMEWHERE」ではないか。