先日、色白おばけ氏のブログで、わざと時計を進めておくのは効果があるか否かについての話題を読んだ。
大意としては、おばけ氏は内心では「ない」と考えているようだが、奥さんはそれでも子供の遅刻を防ぐために一応、5分だけ進めておいてと念を押しているのであった。
「子供たちが朝でかけるのにその時計を見せて動かすのがちょうどいい」という理由。
妻の論理は「5分進めてあれば、それを見て焦る。そうすると早く支度をして学校へ出て行く。これで遅刻を防げる」というものらしい。
私は実をいうと奥さん派で、仕事用の腕時計は常に5分進めている。
しかも、ここ二十年ほどずっとである。
しかし何故、そうしているのかという点について、ほとんど考えた記憶がない。
たとえばもともと遅刻しがちな自分への戒めであるとか、酷い遅刻をして誰かに怒られたことが切っ掛けだということでもない。
単に習慣としてそうしている、という意識すら薄かったので、これまでこの件を誰かに話そうとか、ブログに書こうと思ったこともなかった。
今回は、その理由を考えてみた。
おばけ氏のブログは、以下のように続きが書いてある。
確かに予定より5分家を早く出れば普通は遅刻しないだろう。
でも家族全員が知っているのです。
その時計が「5分」進んでること。
そうなると「ほら7時半だよ」と言っても子供たちは「あぁ、その時計5分進んでるから。」という。
まぁ、そりゃそうですね。
普通の反応です。子供達が小学校の低学年の頃なら少しは効果があったかもしれませんが、もう高校生と中学生。
しかも、もう親に「7時半だよ」なんて言われなくても勝手にスマホの時計見て自分で時間調整しながら登校して行きます。
時計を進めることへの否定派の意見や考え方としては、どうやら「最初から5分進めていると分かっている時計」を見ても意識で修正を入れてしまうから無意味だ、というものらしい。
つまり「5分進めてある」という意識が「時計を見る」という行為の前に来るようなのである。
「5分進めてある」→「時計を見る」
と、このような流れになっている。
「5分進めてある(意識)」→「時計を見る(行為)」
である。
「当然だろ!!」
と思われるかもしれないが、わざと進めておきたい派としては「5分進めてある」という事実と意識を、上手い具合に、ほどほどに、陰ながら忘れようと内心でせっせと努めているのである。
言い換えると「忘れる」「忘れてしまった」というマイナスの力を、ほどほどにコントロールして、行為の後に持ってくるように変えているのだ。
もっと言うなら「5分進めてある」という意識から離れられない人々に比べて「忘れ力」「忘れ術」を日々、磨きつつマスターしているとでもいった感じである。
具体的に言うなら、
「5分進めてある」→「時計を見る」
この前半の意識を次第に薄めて……。
「5分進めてある」→「時計を見る」
このように……。
「5分進めてある」→「時計を見る」
弱めていって……。
「5分進めてある」→「時計を見る」
このような状態↑にまで持っていくのである。
そうすると次の段階では「5分進めてある」が消えるようになって、
「時計を見る」
という行為だけになってくる。
パッと見た時に、とりあえず「5分進んでいる」という意識は来ない状態になっているのである。
「忘れ術」の3分の1がここに完成した。
赤色の文字で「あお」と書かれていると混乱するように、面倒だからとりあえず視覚優先でOK!と自分内ルールで決めておくのである。
それで、普段はほぼそのままの状態を保っていて、何の支障もない。
ただしこの「保つ」「忘却をキープする」という状態がなかなか難しい。
醒めてしまって「この時計は5分進んでいます」などと普段から思ってしまってはならない。
「守破離」のうち、「離」の段階になるようなものである。
この「保つ」段階が「忘れ術」における難所であり、中盤の3分の1と言えよう。
やがてある時、事態が切迫してきて、
「まずい、2分ほど遅れてしまう!」
という遅刻寸前のピンチに陥ってからやっと、意識の奥底から、
「5分進めてある」
を引っ張り出してくるような感覚になっていれば、もう忘却術のゴールは間近である。
この時の「5分進めてある」は心強く、たいへん頼もしいものである。
ぜひ、その過程を心で味わってみていただきたい。
「まずい、2分ほど遅れてしまう!」
↓
「5分進めてある」!
「5分進めてある」!
「5分進めてある」!
「5分進めてある」!
ドドーン!遅刻してない!
この瞬間こそ、意識としての「5分進めてある」を復活祭的に大いに押し出す時なのである。
かくして残り3分の1の「忘れ術」が、ここに劇的な完成図としてフィナーレを迎えたのであった!
「時計を見る」→「5分進めてある」!
という訳で、わざと進めてある時計は遅刻防止の役に立つのだが、立たせるためには多少なりとも「忘れ術」を会得しなければならないのである。
会得できない愚か者どもが、嫉妬混じりに忘却術の会得者へ文句を言っても一切は無駄である。
なぜなら、
なぜなら、
なぜなら……、
【お詫び】
何を書こうとしていたのかすっかり忘れてしまったので、思い出したら後で書きます。