大仏次郎の「赤穂浪士」を読み終えた。上下巻で1100ページくらいあるので、1日100ページ読むとしても11日かかる計算である。その割にはすぐ読めたと言うべきか。新聞に連載された小説なので、1回1回が面白くて飽きない。
下巻では、上巻で活躍した人物が後景に退いてしまって、赤穂浪士側の話が中心になる。今の感覚からすると、ほとんど狂気の集団自爆テロのような話で、そこに至るまでと、至った後にも濃密なドラマがある。昭和2年に書かれて昭和39年にテレビドラマ化された小説とは思えないくらいの大衆批判も出てくる。何にせよ退屈しなかった。
「世間は結局理屈抜きに感情だけで動くのである。」
「正義と信ずる剣を真向上段からふりかぶっている瞬間にも、人は自分の生活を保証されている限られた世界を暗に是認している。その中だけの熱情なのである。」
「少々は吉良れたふりをする家来 手作の疵で恥の上塗り」
読み終わってすぐ三田村鳶魚の「大衆文芸評判記」を読んだら、冒頭で「赤穂浪士」をめった斬りにしていた。
この本は大衆小説の時代考証の至らなさを突ついた本だが、
「何たることを書いたものか」
「まことに困ったことだと嘆息されるばかりである」
「元禄時代に朝湯なんかどこにあると思っているのか」
「罪人の家族がどうなるものか、全く知らないからこんなことが書けるのだろう」
「いつの時代でも決してない。とんでもない話で、いかにもばかばかしい」
「江戸ッ児という言葉も、すこぶる新しい言葉であり、(略)全く時代を知らないことがよくわかる」
「『しのび返し』なんていうものが、元禄時代にあったと心得ているんだから恐ろしい」
「全く言語道断でありましょう。とてもお話にならない」
「こういうことから考えると、滑稽小説じゃないかという気もする」
「ここへくると盛んな御愛敬で大とんちきをやる」
「この頃二階家などの小奇麗な、後の船宿のような、気の利いたものがあったと心得ているのはお笑草だ」
「その時代を現していないのみならず、いつの時代にも、そんなばかな人間はいそうに思われない」
「十五万石の家老なら、もう少し重々しい調子があってもいいと思うが、このいけぞんざいなことは、書生よりももっとひどい」
とボロクソに叩いて、最後の締めの言葉がこれ。
とにかくこれは時代物なのだから、その時代ということを知らなければならないのですが、そういうことを少しも構わず、ただこういう無法千万なものを製造する人間があるということに驚く。そうしてまたそこに相当多数の読者が集ってゆくということは、私どもは何ともいえない心持になるので、これでは普通選挙の行末も思いやられるのであります。
久々に「俳句―四合目からの出発」を思い出してしまった。
「愉快で辛辣な悪口」系の本として双璧ではないかと思う。