今週のお題「もしも100万円が手に入ったら」
無視する。
ひたすら無視する。
冷たく無視する。
ひとり暮らしの場合、わざと台所とか、下駄箱の上とか、トイレの床だとか、無造作にその辺に置いておく癖に、まったく無頓着な様子で、
「はあ?100万円?何それ?」
という態度を、あえてとり続ける。
一種の芝居だが、修行僧のようにひたすら無視を続けるのである。
他人が見ている前でも、
「はあ?自分の100万円ですけど?それが何か?」
といった調子で質問を封殺して、話題にすら上らせない。
別に金持ちでもないし、金銭感覚がおかしくなった訳でもない。
普通に生活や娯楽のために金を使い、あるいは貯金して、人生を生きているのである。
それなのに、目の前の100万円の束だけは、何としても無視。
来る日も来る日も淡々と、ただひたすらに無視。
たまに視界に入っても、「フン!」とばかりに、ソッポを向いて無視。
雨の日も、風の日も、雪の日も無視。
勿論、内心では「100万円!やったぜ!」と思うこともあるかもしれない。
「今度、この100万円でアレとアレを買おう!」とニヤニヤしてしまうかもしれない。
「急に無くなっていたら、いくら何でも焦るだろうな!」と想像して、不安になるかもしれない。
しかし、そのような内心の喜びも不安も、ソワソワもざわめきも全て無視する。
やがて……、
長い長い年月の後で、シーンとした、仙人のような静かな心境へと至るのである。
その心境も無視。
もう最初の100万円のことなど、とっくに無視どころか忘れきっている。これぞ完全無視の境地である。
自我すら忘れているかもしれない。
やがて死の瞬間が訪れる。さすがに死となれば一大事である。
その直前に、何かを思い出しそうになる!「何か」って、何だっけ?
ところが、その「何か」もサラッと無視。
あっ、
今、
死にそう!
とうとう、死が間近に迫ってきた!
それも無視。
無視した結果、死ぬ寸前の状態から生き返ったりして。
ここまで来てようやく、ふと100万円のことを思い出す。いったん完全に忘れて、死にかけてから思い出した100万円である。
気味が悪いので、誰も盗んだりしていない本物の100万円の束が目の前にある。
この100万円の嬉しいことといったらない。
「やったー!100万円だー!」
めでたしめでたし。
注:途中までは「ひとり暮らしでない場合」も書こうと思ったが、思っているうちに書き終えてしまった。