まだ2ちゃんねるがあったか無かったか、という頃にはネットのあちこちにテーマ別の掲示板があった。
ここには誰でも意見や考えを書き込むことができるのか、すごいなと素直に感心して読んでいたように記憶している。当然ながら議論の場が荒れたり、人と人が激しく罵りあう様子なども目撃した。全てが新鮮であった。
その頃は、標準語で「ですます調」で書くのが普通とされていた。今とは違って、皆、かしこまっていたのかもしれない。中には、関西弁で口語的に「まあ、ぼちぼちでんな」「あんまりカリカリせんと、のんびり行きまひょか」などと書いている人がいて、私はその人の発言を楽しみにしていた。
しかし、ある時、場が荒れて、この人が非難の的になってしまった。
「いつもふざけ半分な発言は迷惑です」
「真面目に議論しているのに、不謹慎な」
「そもそも関西弁が鬱陶しいです」
などと激烈な調子で言われて、この人が、
「大変失礼致しました。私はもう書き込みをしません。さようなら」
と去ってしまった時は悲しかった。
自分も薄々、この人は責められそうだなと思っていた矢先だったし、多少はイライラするような内容でもあったので、仕方がないなという気もした。
世の中に沢山ある中小零細が昔に比べて利益を従業員に還元しなくなった話な、簡単や、辞めていくからや、昔と違って従業員の方が簡単に辞めていく、どんだけ可愛がってやっても、気に入らなきゃ辞める、技術教えてやっても甲斐がない、つまり昔と比べて労使の信頼関係が崩れたな、これは大きな損失やな
— アラビア太郎ちゃん (@mousukosikane) February 5, 2018
吉野家の無料牛丼に並ぶ人は優雅な人達やで、幸せな人らや、あんなん江戸時代のお伊勢参りみたいなもんでお遊びで並んでるんや、大体寒い中並べる忍耐力がある、ほんまのあかんたれは先ず無料牛丼情報を知らんし、並ぶ気力がない、みんなと同じ事ができんのや、むしろ裏で廃棄牛丼を探す事を考えるわな
— アラビア太郎ちゃん (@mousukosikane) February 5, 2018
昔仕事で多くのあかんたれを使っていたが、あかん人間ってのはとにかく忍耐がない、継続ができんのや、後は寒さ暑さに弱いし、欲望にすぐ負ける、ただね、恐怖とかに裏付けられた規則は遵守する、後は序列を大事にするね、歪なプライドがあるんや、だから吉野家では並ばん、むしろ並ぶ人を馬鹿にするね
— アラビア太郎ちゃん (@mousukosikane) February 5, 2018
あれから20年近くが過ぎて、今やすっかりそうした傾向は消え去ったようである。たまたま「アラビア太郎ちゃん」氏のツイートを読んでいて、急に昔のことを思い出したのでメモしておく。