ゴールドフィンガー

 

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 こんな夢を見た。
 自分は小学4年生である。数年に一度は転居するので、日本のあちこちの小学校を渡り歩いている。どの小学校にいてもその時だけの関係なので、友情を育む暇がない。
 たまたま今は同じクラスに、やはり転校を繰り返している友達のKがいた。
 お互いに、
「お父さんが転勤族だから、しょうがない」
 と話している。
「転勤族」という言葉の意味を把握していないが、二人もその他のクラスメイトも、何となくそういうものだと理解している。
 Kはいつもチョッキを着ていて、背が高く、頭に整髪料をつけていて、姿勢がよい。
 その弟が問題児だった。
 男同士が二人きりで話していると、大声で、
「オカマみたい!皆~さん!あの二人は!あ・や・し・い、関・係!でーす!」
 と冷やかしてうるさい。年上だろうと年下だろうと、関係なく冷やかす。
 女の子が二人、仲よく話していると、
「あの二人はレズでーす!」
 と大声で騒ぐ。皆が迷惑がって避けていた。
「もし偶然にでも女の子と二人でいた時に見つかったら、一体どうなるんだろう?」
 自分が言うと、Kは、
「そういう時だけは、なぜかあいつは静かなんだよ」
 と笑った。
  
 やがてKは、また転校することになった。残念だが、そうなることは何となく自分も周囲も分かっていた。あの弟も一緒にいなくなるかと思うと、多少は淋しく思われる。
 いよいよ引越しの期日が迫ってきたある日のこと、荷造りのついでに雑誌や漫画をあげると言われたので遊びに行った。
 事が起きたのはKの勉強部屋である。
「今まで黙ってたけどさ……」
「なに?」
「お前に、いいこと教えてやろうか?」
「うん」
「影を食べると美味しいんだよ」
「影?」
「そうなんだよ」
「影を食べる?」
 おうむ返しにそう言うしかなかった。
 Kは学習机の平べったい引き出しに手を突っ込んで、奥まで腕を伸ばして何かを探っているような顔つきをした。
 ごそごそと音がして、やがて腕を引き出すと、指先にコーヒーゼリーのような何かをつまんでおり、それを二人の顔の間に持ってきて見せた。
「ほ~らね」
 それはまさしく影の色をした、影の薄片だった。
「食べるのか?」
「そうだよ」
 そう言うと、そのまま本当に口に入れてしまった。
 カリッ、コリッ、と噛み砕く音がして、そして飲み込んだ。
「ああ美味しい」
「な……、何だそりゃ!」
 Kの話によると、夜、布団の中で指先が何かに触った気がして、つまんでみたら影だったのだという。
「半年くらい前かな?そのうち布団以外の床下の暗いとこだとか、戸棚の奥とか、古い水道管の中とか、つまめるようになってきてさ」
「どんな味がするんだよ?」
「お前にも食わせてやりたいよなあ」
「食わせて!」
「ダメだと思うんだよなあ」
 実際に、つまんだ薄片を目の前まで持ってきてくれた。確かに自分にもそれは見えるのだが、自分の手で触るとたちまち消えてしまう。アーンして口に落としてもらっても、やはり消えてしまうのだった。
 そうなると、ますます味が気になってくる。
「味は、何の影かによって違うんだよ。葉っぱの影だとか、信号機の影とか、犬が寝てる時にできる影だとかさ」
「何それ?それで、歯ごたえがあってコリコリしてるんだ?」
「金属系のはそうだね。硬いものが作る影はコリコリしてるけど、植物や動物の影は柔らかくて、ふわっとしてるんだよね」
「いいなあ……」
「長い間ずっと暗かった所の影だと、味が濃いんだよ」
「何でかな?」
「味が熟成されてるっていうかな……、とにかく長ければ長いほどいいらしいね」
「じゃあ、古い土蔵の奥とか?」
「そういうのもあるよな」
「他には?」
「縄文杉って知ってる?」
「杉の木?」
「そういう樹齢千年とかいう大木があるんだけどさ、もしその木を下から掘り起こしたら、その根っこの辺りは千年以上ずっと陽が射さなかった影がびっしりってことだろ?」
「味が濃いんだ?」
「食べたら気絶するんじゃないかな?旨すぎて……」
 よだれが垂れそうになった。
「せめて、うちやこの近所の影だけでも食わせてやりたいんだけどなあ……」
「あ~あ」
「どうしても、俺のこの、ゴールドフィンガーでないとつまみ出せないらしいんだよ」
「ゴールドフィンガー!」
「もし核戦争が起きて、食べるものが全部なくなったとしてもだよ、俺は影だけ食って生きていけそうだよな」
「弟もできるとか?」
「いや、弟や親には言ってないんだ」 

 Kが九州へ引越した後、いつかお互いに連絡を取り合うつもりでいたのだが、中学に上がる前には自分も京都に引越してしまった。その後、また高校に上がる前に引越して、彼のことはほとんど忘れてしまっていた。
 しかし何かの弾みで、Kが影を食べる表情や、目の前で見た光景を思い出すことがあった。どうしても説明がつかないし、かといって誰かに話すのも躊躇われる。
 その後は少しずつ、土を食べる奇病や、遺伝的欠陥によって血を吸いたくなる症例が海外にはあるとテレビや本で知った。それでも「影を食べる」という人間がいた例はどこにも見当たらず、似たような話すら見つからなかった。
 高校の頃に、間接的に聞いた話として、ミステリ好きの女の先輩に話してみると、
「手品か何かでしょうね」
 と一蹴された。
「その話によるなら、」
 と眼鏡の端をちょっと上げて続けた。
「する方も見た方も小学4年生だし?きっと手品か、手の込んだいたずらでしょ。それこそゼリーか何かを用意して、それを食べて見せたんじゃないの?」
「それならあの音は?」
 先輩はコリッ、カリッと口の辺りで音を出した。
 思わず、
「そういう感じの音ですよ!」
 と、自分の経験のように言ってしまった。
「これは顎の関節をちょっと鳴らしただけだからね。やっぱり《《君》》は騙されたんでしょ」

 それでも、Kが別れる寸前に自分をからかったとは思えなかった。むしろ、引越す直前だからこそ、秘密を打ち明けてくれたのではなかったか。だが、それにしては軽い調子で、もったいぶることもなく教えてくれたものだ。あれは現実には存在しない、捏造された記憶だったのかもしれない。

 これでこの件は終わったかというと、まだ続きがある。
 やがて大学を卒業して、自分は地方の新聞社に勤めることになった。記者になって十数年が過ぎた頃、大型の連載記事を手分けして書くことになり、その下準備の会議で「(仮)日本の若手医師 ~百人の意見と異見~」と題された企画書を手渡された。
 中には数十人の医師のリストがあり、「胸部外科:神の指を持つ男」と小さく書かれた横に見覚えのある名前を発見した。
(これはKだ)
 と、目に入った瞬間に確信した。幸い、誰がどの医者を担当するかは未定だったし、連載前のプレ記事のために、知人だということにして取材の段取りを組むのは簡単だった。

 いざ病院の事務室で会ってみると、やはり昔日の風貌の残るあのKなのだった。ひと通りの質問が終わったので、
「実は、小学校の頃に……」
 と切り出すと、遮るような勢いで、
「やっぱり!昔と変ってない!」
 と喜んでくれた。しかし、例の件に関しては言いにくい。
「そういえば確か、弟さんがいたよね?」
 別の方向から探ってみると、
「弟は指もあそこも切っちゃってさ、今はマカオでオカマやってるよ」
 と冗談のような報告をした。子供の頃と同じで、嘘っぽさが少しもなかった。
「勘違いかもしれないけど」
 と前置きして、
「転校する前にさ……、その……、ゼリーみたいな物を食べる様子を見せてくれたよね?」
「……お前だったのか……」
 と、Kは目を細めて、意外そうな顔をして言った。
「お前だったのか、って?」
「お前じゃなくて、別の奴に言ったような気がずっとしてたんだよ。これで分かった」
「別の奴?」
「転校してすぐ仲よくなった子がいてさ、そいつにあれを食べるところを見せたつもりでいたんだけど、記憶がごっちゃになって勘違いしてたんだ」
「じゃあ、転校する度にあちこちで言ってたのか?」
「いや違うよ。お前と、他はせいぜい弟にしか言ってない。結局、二人だけにしか言ってないんだよ」
「いたずらじゃなくて?」
「ああ、今でも……」
 と声を落とした。
「……食ってる」
 本当だったのだ。頭がくらくらした。
「海外に行って、赤道直下のあたりで出来る影とかさ、何百年もかかって雪や氷の作る影とかさ、いろいろあるんだよ」
 囁くようにして続けた。
「俺が外科医になった理由はさ」
「何?」
「知りたいか?」
「勿論」
「人間の体の中に、……影があるからだよ」
「それを食べるために?」
「人間の内臓で、光が射さないままで数十年かけて熟成されるんだぞ。影というか、あの味は闇というべきかな」
 比喩でなく、本当に人間の作る闇なのだ。
 そして、
「お前にも食わせてやりたいよなあ」
 と屈託のない顔で笑った。