自分はなぜ「それ」を知っているのかが分からない

 

 

自分がなぜ「それ」「そのこと」について知っているのか分からない、ということが次第に増えてきた。その例をひとつメモしておこう。

先日「スリー・ビルボード」の感想の中でフラナリー・オコナーの作品についてちょっと触れた。しかし「善人はなかなかいない」という短編を自分がいつ、どこで、どのようにして読んだのか、なぜそのタイトルと内容をある程度は知っているのか、実はまったく思い出せなかったのである。

前々から新潮文庫のフラナリー・オコナーの短編集は持っているが、これには収録されていないし、「全短編」はついこの間まで入手が難しかった。ストレートに「善人はなかなかいない」というタイトルの短編集もあるものの、これは読んだ記憶どころか、手にとったこともない。

 

善人はなかなかいない―フラナリー・オコナー作品集

善人はなかなかいない―フラナリー・オコナー作品集

 

 

こういう時は何をどう調べると答が出てくるのか、難しいところである。

 

 

今回はツイッターのキーワード検索によって「フラナリー・オコナー」で調べて、色々な発言を読んでいてやっとわかった。

文春文庫の「厭な物語」というアンソロジーで読んでいたのである。

 

厭な物語 (文春文庫)

厭な物語 (文春文庫)

  • 作者: アガサクリスティー,モーリスルヴェル,ジョー・R.ランズデール,シャーリイジャクスン,パトリシアハイスミス,Agatha Christie,Shirley Jackson,Patricia Highsmith,Joe R. Lansdale,Maurice Level,中村妙子,深町眞理子,小倉多加志,田中早苗,高山真由美
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/02/08
  • メディア: 文庫
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ちなみにこのアンソロジーの中では「赤」という短編が猛烈に印象深かった。あまりにも厭な感じが強烈だったので、オコナーの厭さ加減が薄れてしまったらしい。