ゴンチチに対する罪悪感

 

 

たまにゴンチチを聴きたくなる。

そういう時に「ゴンチチを聴いている自分は、何となくいい人っぽいな」と感じる。

 

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映画「歩いても 歩いても」サウンドトラック

映画「歩いても 歩いても」サウンドトラック

 

"GONTITI SINGS KOREEDA" ゴンチチ「是枝フィルム」作品集

 

 

そしてすぐに聴いて、すぐに飽きる。そのスピードがあまりにも「すぐ」なので、いつもそこで罪悪感を感じる。

「飽きちゃったから……」

という理由で飼っている犬を捨てる人とか、育児放棄する人とか、離婚する人とか、そういう部類の人になったような気がする。他の音楽家やクリエイターや芸能人に対しては、飽きたからといって何も感じないのに。

一体これはどういうことなのか。やけに「いい人」だった自分との落差を勝手に感じているのか。

それとも、ゴンチチの「ゴン」という部分が犬の名前っぽいからだろうか。

 

ゴンちゃん、またね。

ゴンちゃん、またね。

 

 

おそらく将来、ゴンチチのメンバーの片方の訃報に接したり、「活動停止」「解散」というニュースを目にしたりすると、もっと強い罪悪感に襲われるはずである。

憂鬱なので、今のうちから前払いで少しずつ罪悪感を感じていたい。