カットアップについてあれこれ考えているうちに、
「語順を並べ替えてはあるけれども、意味は概ね変わっていない」
という線を狙った方が面白いかもしれないと考えるようになった。
例:親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。
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小供の時から親譲りの無鉄砲で損ばかりしている。小学校に居る時分腰を抜かした事がある学校の二階から飛び降りて一週間ほど。そんな無闇をなぜしたと聞く人があるかも知れぬ。深い理由でも別段ない。
日本語は語順が多少変わっても意味を保持できるので、こういう試みが成立するのだ。
何だか自分でも意味がわからない試みだが、そこが妙に面白いといえば面白いので、もっとやってみたい。単純なルールを元にやっているゲームというか、ひとり遊びというか。
有名人のそっくりさんを目にすると我々はつい笑ってしまうもので、それと似たような可笑しさがこの文章にもある。何となく誰でも原文を知っているので成立するという面もある。
首を新築の二階から出していたら、同級生の一人が
解説:最後の「この次は飛んで見せます抜かさずに」と標語風に応えるところが原文より30%増しくらいで妙である。
西洋製のナイフを親類のものから
解説:「そんなら切ってみろ君の指をと注文したから、この通りだ何だ指ぐらいと右の手の親指の
今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」