樹木希林のように個性的な女優が亡くなると「ああいうお年寄りになりたい」と言いたくなる。
その心情はわかる。しかしそれを言った人が同じ口で、八千草薫を材料にしてまた同じことを言う。
このあいだのアレはどうなったのか……。
本来ならたとえそれが八千草薫だろうが岩下志麻だろうが吉永小百合だろうが、断固として自分は樹木希林的なコースを歩みたい、と宣言するべきチャンスなのではないか。
結局のところ、断固とした生き方などというものは到底できない、稀なケースであって、そう生きたように見える人ですら「一切なりゆき」と言い残さざるを得ない、儚いものなのだ。
つまり誰かが亡くなるたびに方針を改めるという態度は、まさに庶民の知恵である。だから、また何年か後に個性的な女優が亡くなると「ああいうお年寄りになりたい」と言いたくなる。その心情はよくわかる。