日に日に世の中がギスギスして、外出できないせいで皆がストレスを溜め込む一方で、しかもこの状況に終わりが見えない。
世界のまともな国々では「コロナ禍はもう過去の話」となった時点でも、まだ日本では収束されない状況が続きそうである。
今朝は内田樹の「コロナ後の世界」がツイッターのトレンド入りしていた。
感染症対策として、やるべきことは一つしかありません。他国の成功例を模倣し、失敗例を回避する、これだけです。日本は感染拡大までタイムラグがありましたから、中国や台湾、韓国の前例に学ぶ時間的余裕はあったんです。しかし、政府はそれをしなかった。
一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。最悪の事態に備えてしまうと最悪の事態を招待するかも知れないから、何もしないことによって最悪の事態の到来を防ごうとしたのです。これは日本人に固有な民族誌的奇習です。気持ちはわからないでもありませんが、そういう呪術的な思考をする人間が近代国家の危機管理に当るべきではない。
先行する成功事例を学ばなかったもう一つの理由は安倍政権が「イデオロギー政権」だからです。政策の適否よりもイデオロギーへの忠誠心の方を優先させた。だから、たとえ有効であることがわかっていても、中国や韓国や台湾の成功例は模倣したくない。野党も次々と対案を出していますが、それも採用しない。それは成功事例や対案の「内容」とは関係がないのです。「誰」が出した案であるかが問題なのです。ふだん敵視し、見下しているものたちのやることは絶対に模倣しない。国民の生命よりも自分のイデオロギーの無謬性方が優先するのです。こんな馬鹿げた理由で感染拡大を座視した国は世界のどこにもありません。
夜、将棋のプロ棋士のnoteを読んでいたら、最後の方に以下のようなやり取りがあった。
一人になり、もうすっかり空いている電車に乗る。「どこも触らないのが大事だよ。」門倉さんの言葉を思い出す。
「どこも触らないのが大事だよ。」そう心掛けているのが都内の人なのだ。電車の吊革に触るのがためらわれる気持ちはわかる。こうなるとマスクだけではなく、使い捨ての手袋を常時つけるようになるかもしれない。
実際、マスクだけで大丈夫といえるのだろうか。海外では靴の裏にウィルスが付着したせいで感染が広まった、日本では靴を脱ぐから抑制できているのだという話もどこかで読んだ。
それにしてもマスクはどこにも売られていないし、会社が「買える」と持ち掛けてきたマスクは中国製なのであった。
そして「鬼滅の刃」を面で並べていた書店からも、ついに本が無くなった。
「在庫ありの巻をご購入希望の方はカウンターにお越しください」と貼り紙がしてあったが、全巻在庫なしだった。18巻と19巻が欲しい。