ドクター中松の「1スジ 2ピカ 3イキ」という言葉は、落語にこそ当てはまるのではないかと思った。
まず1、落語はスジが面白くなくてはならない。
そして2、ピカッと光るような発想や、意外なシチュエーションが落語の醍醐味なのだ。
最後に3、落語はイキでなけりゃいけねえ。
ツタヤに「ちりとてちん」が無かったので代打として「しゃべれども しゃべれども」を借りて、すぐ観た。
感想を幾つか書いてみると、
1、出てくる落語が「火炎太鼓」で、またかと思う。しかも志ん生の言ったりやったりした事をなぞっているだけで、それを俳優がやったからと言って特に新味は無かった。
2、枝雀の「饅頭こわい」をビデオで見て、それを子供が真似るという流れがあるのだが、途中のくすぐりが少しだけ出てくる箇所が結構面白かった。枝雀はまだ本格的に聴いたことがないが、「饅頭こわい」すら面白く聴かせてしまうというのは凄い。
3、先日「柳家ろべえ」という人を国立演芸場で見たのだが、この映画の冒頭の寄席の場面で名前がチラッと見えた。
4、東京の浅草近辺の雰囲気が控え目にうまく出ていた。曇りが多い所が残念。かと言って、よく晴れた天気ばかりでもウソ臭い。
5、香里奈の出囃子が「猫踏んじゃった」で、この選曲はいいと思った。調べてみると原作ではこの女性のあだ名が「黒猫」なので、そこに引っ掛けているらしい。
6、全体的には特に悪くもなく良くもないという、ごく普通の映画だった。近年のほとんどの映画は、何を見ても「良くもなく悪くもなし」という感想しか出てこない。
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痴楽のCDを買って半分は聴いた。
「桃太郎」は自分が考えていたよりずっと速いペースで、早口でまくしたてるように喋るのが意外だった。
この話はもっとゆっくり、じっくりでもいいように思う。
もっと多くの人にやってもらいたい。
桃太郎関係の話で自分が好きなのは「昔々、川から桃が流れてきました。みかんや林檎やバナナも流れてきました。千疋屋の喧嘩でした」というもの(談志の本に出てきた)。
「<SP盤復刻>決定盤 初代 桂春団治 落語傑作集」というCDで 「チリトテチン」を聴いてみたが、ノイズが大きくて聴きにくかった。
しかし色々と発見があった。
まず自分はダミ声の落語家が好きだということ。
それから上方で「チリトテチン」関東で「酢豆腐」とされているこの話は、「我輩は猫である」のトチメンボーのくだりに生かされているということ。
この話の眼目は「知ったかぶりをする人間をやり込める」という点にあるのかもしれないが、志ん朝は割とそうではなくて、前半にも重きを置いていたということ等。
小さんの「らくだ」をDVDで観た。枕で「きちがい水」「気のふれたの」に関する話が平然と出てきた。その後は割と長くて、50分くらいの話。
途中で映画「用心棒」のことを思い出したりした。
映画で言うと「ハリーの災難」にも似ている。しかし細かい所は忘れている。
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先日、国立演芸場に落語を観に行ったというか、聴きに行ったというか、とにかく「落語は生で観ないとわからない」とよく言われるので行ってみた。
その感想を書いてみよう。
まず最初は、
1、柳家花いろ
という前座の人が出てきて「道灌」をやった。
これは前座のよくやる噺らしい。で、前座なだけに声が余り届いてこなかった。自分は前から5番目くらいの席で、ほぼ真ん中にいたが、それでも届いてこない。
噺の内容は談志の昔の録音で知っていた。しかし言葉の聞き違いの噺は誰がどうやってもあまり面白くならないような気がする。
2、柳家ろべえ
次はろべえという人で、シュッと縦に長い感じの好青年だった。
この人は二つ目で、喋り方も噺家風にフシをつけていて、歌うように喋るので安心した。
また、声もきちんと響き、届いてきた。
しかし噺は「もと犬」というこれまた平凡な噺だった。犬の願いが叶って人間になる、という噺。
この噺より枕の方が笑いをとれていた。
どういう話かというと、この人の師匠の喜多八は「やじさん喜多さん」の喜多さんから取った名前で、その師匠から、
「お前がやじさんを名乗るのはまだ早い。やじろべえの『ろべえ』だけで充分だ」
と言われて「ろべえ」を名乗っているとのこと。そして、
「皆さん私の話がつまらなかったら、どんどん野次を飛ばして下さい。そうすると私も野次とろべえで『野次ろべえ』になれますから」
と言っていた。
3、翁家勝丸
この人は落語ではなく曲芸の人で、これがいわゆる「色物」かと思い、じっくり見た。
まず曲芸は「立てる、投げる、回す」が肝心なのだという講釈が少し入って、アゴの上に棒を立てて、その上に板を乗せ、さらに両側からコップを乗せ、その上にさらに板を乗せ……という風にエスカレートしていく。
「はい、見事に何とかの型ができました」という感じでお終いになって、次は傘回し。
和傘の名前が「クリスティ」だと言う。和傘がクリスティ、つまりワガサ・クリスティという洒落になっている。「だから何なんだ」というレベルの駄洒落で、客席の反応も静かだった。
しかしそれでも挫けずに、傘を回して、お客さんからボールを投げてもらって、それを傘で受けるという芸や、手ぬぐいを顔の上に立てるという芸を披露してくれた。
4、三遊亭金也
次はまた落語。
この人は小柄で朗らかで、汗をかきながらの熱演だった。噺は「悋気の独楽」という噺で、「権助魚」に似た始まり方だったので、同じ噺かと思ったらその後の展開が異なっていた。これは情景が目に浮かび、人物も生き生きしていて面白かった。
後で調べたら、この人の師匠は私の好きな三代目金馬の、次の代の金馬だった。ちなみに代演だった。
あらすじは以下の通り。
【あらすじ】
夜になるといそいそと出かける旦那の浮気を疑う女房、小僧の定吉に旦那のあとをつけさせます。すぐに旦那に見つかってしまいますが、定吉は妾宅までのこのこついてきます。
旦那から事情を聞いた妾は定吉に小遣いをあげ、まんじゅうを食べさせて機嫌をとります。すっかり気をよくした定吉、三つの独楽を見つけました。
これは「辻占の独楽」です。独楽を三ついっぺんに回して、黒い独楽が紅い独楽とくっつけば旦那は妾宅にお泊まり、色の薄い独楽とくっついたら本宅に帰るとのだと聞き、定吉は独楽をもらって帰ります。家では女房がいらいらしながら定吉の報告を待っていました。
5、ひびきわたる
次はまた色物コーナーで、「すず風にゃん子・金魚」という漫才の筈がこれまた代演でヤクザのような60歳くらいの男が出てきて漫談をやった。
この人の売りは煙管による音のモノマネだった。最初は赤ちゃんの泣き真似で、確かにそんな風な音を出していた。
しかし音真似だけではもたないという事か、7割くらいは雑談だった。しかも雑談で「今日のお客さんは特別です」とか、「僕は命をかけてこの芸をやってます」などと白々しく言う箇所が可笑しさのピークだった。
「命をかけて」と言った直後にやった芸が「アシカの鳴き真似」で、その後で「大サービスだ」と言ってやってくれたのが「トドの鳴き真似」だったりした。
6、柳家喜多八
この人はまったく元気の無い、顔が土気色をした元アラン・ドロンという雰囲気の人だった。そして「こんなに天気がいいのにこんな所で落語を見に来ている」お客さんがどうたら、最近の若いもんがキャーキャー騒いでどうたら、といった愚痴を言うのだが、あまり自虐芸にも客いじりにもなっておらず、陰気な人がブツブツ小言を言ってるだけ、というものだった。枕の所で印象に残ったのは「こっちは昨日や今日はじまった貧乏じゃねえんだ」という一言のみ。
しかし「片棒」という、ケチな旦那が息子を呼んで葬式のプランを語らせる、という噺に入ると俄然精彩を放ち、とりわけ粋な江戸っ子の次男は魅力的だった。この人は先ほどの「ろべえ」の師匠だということに後で気がついた。
「関心空間」という所でこの人が紹介されていて、やはり自分と同様の感想が書かれていた。
7、ダーク広春
この人は手品師で、新聞を細かく切っていったら実は切れておらず、とか、トランプを操っているうちに小さくなるとか、そういったマジックをやった。いかにも無名の人のやる「演芸」で、華やかでありながらも貧寒とした空気だった。
8、初音家左橋
この人は「棒鱈」という酔っ払いが出てくる落語をやった。枕で「酔っている人ほど酔っていないと言う」という酔態を演じるのを見て、ああまたかと思ったが、後で調べてみるとこの人は馬生の弟子なので、そこからの直伝ということになるらしい。
自分が見た順番は小さん(DVD)→初音家(この時)→馬生(動画)。
内容は東北から出てきた田舎侍と江戸の侍の喧嘩。ドタバタした調子で面白かった。
9、太田家元九郎
ヤクザみたいな雰囲気の人が出てきたと思ったら三味線を弾き始めた。三味線で韓国民謡、「コンドルは飛んでいく」などをやった。落語の合い間にこういう演奏が入るのは非常にくつろげて良かった。その辺に伝統の知恵を感じた。
10、桂南喬
桂南光なら知っているが、南喬は知らないなあ、紛らわしいなあ、とやや冷めた気持ちで迎えた大トリの落語。
しかし「大山詣り」という、大体の粗筋は知っているものの、詳しく聴いたことのない演目だったのでラッキーだった。人が大勢で移動したり、大きな嘘が出てきたりでダイナミックな噺。これを身振り手振りつきで生で観ると、巻き込まれるような迫力があった。
この最後の噺は、噺家を中心とした半径50メートルくらいの輪の中に「噺の世界」があって、そこに引きこまれるようだった。この人は体が大きいので、その辺りも噺家の資質としては重要ではないかと思った。
これでこの日の出し物はお終い。
これだけの人(10人)が出てきて、午後1時から夕方の4時くらいまでやって2千円というのは、ちょっと安過ぎて気の毒になってしまった。
席は半分くらいしか埋まっていなかったが、座席が狭いし、売店もよろしくないので仕方がないという印象。
色々と基本的な、スタンダードな噺を聴けてよかった。
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仕事のついでにジュンク堂に行って、落語コーナーを見ていたら色々と知らない本があって眺めいった。
落語に関する本は、いかにもやっつけ仕事的な「フリーライターと大学生の中間」といった人の書いたものが多い。
がしかし「江戸落語便利帳」という面白そうな本を発見。
江戸時代の習慣や風俗、暦、年中行事等などを解説した本で、しかも「このページに書かれていることは落語の演目でいうとこれに出てくる」という風に逆引きで落語につながるように出来ている。まさに便利で為になる。
これを考えた人は偉い!と思いつつも、古本で買えば半額くらいなのではないかと思って買わなかった。
その代わり「CDつきマガジン 隔週刊 落語 昭和の名人 決定版 全26巻(21) 八代目 三笑亭可楽」を購入。これはお爺さんやお婆さんが買うようなシリーズだが、1200円くらいのCDに大きな解説書がついてくると思えば安いので、見逃す訳にはいかない。
また可楽という人は、ミュージシャンやジャズ関係者にとりわけ愛された、といつも紹介されているので気になっていたのだった。
まず最初に「うどん屋」を聴いてみると、何だか地味でボソボソ喋っている。これは渋い芸風だと思っていたら、うどん屋に絡む酔っ払いが出てきて、二度も三度も同じ事を言うという展開になった。
この酔っ払いが水を得た魚の如く生き生きしており、前回書いたアラン・ドロン風の喜多八と同じようなパターンなのであった。
つまり地の部分の喋りがサービス度ゼロに近い状態で、そこに江戸っ子が乱入するや否や、度を越えたハッチャケ振りを発揮する。うどん屋の迷惑顔が目に浮かぶようであった。
夜は「ちりとてちん」を少し観た。今日は第一週の6話まで。
まずお父さん役の人がこの間観た「しゃべれども しゃべれども」に出てきた役者だったのが意外だった。またつい最近「オバマ大統領を呼ぼう」とか言って騒いでいた小浜市が舞台だった。
最初の6話は落語の「愛宕山」を裏のテーマに置きながら、家族それぞれの様子を描くという内容。
「愛宕山」は志ん朝追悼番組で観た記憶があるが、その時はあまり面白い噺だとは思えなかったし、この人が大変な名人なら他の人の落語はもう観なくていいやとも思った。いま考えると勿体無いことをした。今回のドラマの中では、実際の愛宕山のかわらけ投げが出てきたので、理解が深まった。