落語日記 71-75

 

スポンサーリンク

 

 

ここ数日で米朝、志ん生のCDを幾つか聴いた。

米朝は「近江八景」、牛にくしゃみをさせる話、「高津の冨」など。

志ん生は「替り目」「妾馬」「水屋の富」など。

 

ビクター落語 五代目 古今亭志ん生「替り目」他
 

 

米朝はちょっと意味の分からない落ちなどがあった。
「高津の冨」と「水屋の富」は同じ内容だった。
「妾馬」は有名な噺だが、どうも今ひとつ自分は面白さがわからない。
「替り目」はいつ聴いても面白い。

 


古今亭志ん生(五代目) 替り目*

 

 

明日以降もまた米朝、志ん生を聴く予定。

 

 

今日は雨から雪になって、ちょうど雪が降り始めた頃から勢いを増す頃に車を運転していたので、落語を聴くのはかなりきつかった。しかし途中で聴くのをやめるのも嫌なので、多少無理でも聴いた。

昼は米朝の「田楽喰い」。

ただで酒を飲もうという工夫から、後半は「ん」に関する言葉遊びで面白かった。

夕方から夜は志ん生の「犬の災難」などを聴いた。
車を運転しながら志ん生を聴くのは、今日のような雪の日で、しかも夜で、しかも見通しが悪い路地に入らないといけないような時は危険だということがよく分かった。

もともと志ん生のCDはノイズが多くて音が悪いものが多いのだが、注意力が耳の方に持っていかれるとその分、運転が疎かになる。
左右や後ろが見えにくい状態で運転していたので、ちょっとハラハラした。

 

五代目 古今亭志ん生(6)茶金(1)/犬の災難

五代目 古今亭志ん生(6)茶金(1)/犬の災難

 

 


古今亭志ん生(五代目)犬の災難

 

しかし内容は面白かった。他に「鰻の幇間」「強情灸」。
それから家に帰って本でも志ん生集を少し読んだ。
「黄金餅」「もう半分」など。

これらは再読だが、実際に音で聴いたのか活字で読んだのか、最初の経験が何であったか思い出せない。

志ん生関係で言うと「火焔太鼓」はさほど面白くないような印象があったのだが、落語の本でこの噺のどこが良いのかというエッセーを四人分くらい読んで、だんだん面白いような気がしてきた。

この噺の魅力は逆転ホームランの面白さだ、主人と女房の関係が逆になるところがいいんだと書いている人がいて、そういう見方もあるのかと妙に感心した。

 

 

落語にケチな人間のエピソードが出てくると、妙にワクワクする。例えば米朝の噺の枕に、扇子をケチ臭く使う人のエピソードが出てきた。

扇子を半分だけ開いて五年使い、閉じる。その後で開いていない方の残りを開いてまた五年使う。
その様子を見た人が「自分は全部景気よく開いて使う」と言う、しかし扇子ではなくて顔の方を動かすと言う。バカバカしくて良い。
あと鰹節を借りてきてタダで出汁を取ってしまう話とか。これはちょっとセコくて生々しい。

「黄金餅」の冒頭のケチな話は「息を吸っても勿体ないから、なかなか吐かない」というもの。これもいい。

 

 

昨日はアメトークのDVDで「アンタッチャブル山崎」「ブラマヨ小杉」の回を観て久々に腹筋が痛くなるほど笑った。山崎の回は実際の放送の時にちょっと観ていたので後半はややトーンダウン。この人の傑作は栗井ムネ男だと思うのだが、何か今ひとつ人気爆発という風にはなっていない。

 

 
ついでにとんねるずの食わず嫌いで、マツコデラックスという人を初めて見た。

今日は本屋で「落語を聴くなら 古今亭志ん朝を聴こう (落語ファン倶楽部新書1)」という本を発見したので、即買ったが内容が非常に薄い本で、ただインタビューや作文をまとめただけだった。

雑誌が減った文、かつて「雑誌の特集」扱いだった内容が、今は毎月のペースで新書として出ているという感じになっているのだと思う。

ちょっと仕事でイヤ~な事があった上に、新書も内容がダメダメで久々にかなりムカッと来たので、アメトークのDVDで鬼奴の回を観て心を落ち着かせた。

 

 

先日、談志のDVDで「黄金餅」と「堪忍袋」を観た。

「黄金餅」は観ながら新しい発見はないような気がしていたが、案に相違して色々と思いついたことがあった。

まずこの噺はあんまり自分の心に波風を立たせないというか、引きこまれるとか面白いという感じがせず、割と平板な噺じゃないかと今さらながらに気付いた。

 

 

何かストーリーに起伏が無いし、障害が出てこない所が今ひとつのような気がする。しかし金に目がくらんでグロテスクな事をする人が、それで得た金で商売を始めるというのは、後味があまり良くない筈なのに、さほどそういう感じもしない。

よく考えると変だし、残酷だし、変わった噺だがどうも不感症的に距離を感じてしまう。映画でいうとリメイクしたら新しい面白さが出てきて、その時に初めて理解できるのかも知れない。

この噺の眼目というか、中心的なアイディアとして「金を食べてしまう→その体を焼いて取り出す」というものがある。これは黒澤明の「隠し砦の三悪人」で薪に隠した金塊を火まつりの焚き火にくべてしまう、という発想にちょっと似ている。

「堪忍袋」の方はちょっとした小品で、最後は何となく藤子不二雄の漫画で見たような気がする。「落語と藤子不二雄」というテーマは、多分本が一冊書けるくらいのテーマだ。

落語はDVDよりCDで聴いた方がずっとよいという意見が割と根強くあって、自分もほぼそれには同意する。しかし談志の場合はちょっと事情が違って、顔をしかめたり嫌そうだったり愉快そうにする表情の情報量が多いので「談志の場合はCDよりDVD」としても結構いいように思う。