「ハイドリヒを撃て!」と同じ作戦を、ほぼ同じ時間の範囲(パラシュートでの降下から教会まで)で描いているのが「暁の七人」である。
こちらは前半のナチスの描かれ方が甘く、せいぜい「ちょっと厳めしい顔つきの人たち」といった印象しか受けない。主人公たちのグループも決死行という雰囲気は乏しく、呑気にトランプを弄ぶ様子など「もうちょっと真面目に取り組め!」と言いたくなるほどである。
しかし大筋は同じなので、かえって細かい点の違いがよく味わえる。似ている部分は構図やセリフまでそっくりだが、異なる部分は「えっ!」と声が出てしまうほど別物である。
最も大きな違いは「結婚式」「最初の失敗」「村ごと皆殺し」「裏切りに至る事情」あたりだろうか。
そして音楽学校に通うヴァイオリニストの自白のくだり、ここは思い返すたびに嫌な気持ちになるが「ハイドリヒを撃て!」の正視したくないほどの描写の方が事実に近い。こちらは心情的にもっと残酷といえば残酷だが、まあまあ当時の映画の描ける範囲に収まっている。
自転車の女の子の存在も光る。この子が「お兄さんに知らせてきなさい」と命じられて走り去って、また戻ってきて「電車賃がないからちょうだい」と言う場面の前後、特に音楽学校で兄を探す場面は「ハイドリヒを撃て!」にはない悲しさが漂っている。
本作は42年の話を75年に製作しているので、関連する他の作品との関係は以下の通り。
「ハイドリヒを撃て」は2016年の映画で、1942年の出来事を描く(主に暗殺前)。
「暁の七人」は1975年の映画で、1942年の出来事を描く(主に暗殺前)。
「死刑執行人もまた死す」は1943年の映画で、1942年の出来事を描く(主に暗殺後)。