「白菜の塩クリームスープ」で失敗した場合の復活レシピ

Ⅹなどで話題の長谷川あかり先生による「白菜の塩クリームスープ」を作ってみたら、本当にシンプルで美味なスープが手軽にできた。

 

 

調子に乗って、倍の分量でまた作ってみたのだが、手元が狂ってしまい、塩だけをやけに多めに入れてしまった。

 

 

 

 

「塩加減で失敗したら、もう何かを足してもダメ!」

 

と力説する人が私の周囲には多いのだが、内心では前々から「そんな訳ないだろう」「自分なら何とかできそう」と思っていたので、この機会にどうにか材料を足して復活できないかと試みた。

 

要は薄めれば良いはずだが、ただ水やお湯だけを足しても間延びした味になってしまう。

 

そこでレシピの中間の段階にまで遡って、白菜を炒めて煮る部分までを塩抜きでまた作って足してみることにした。もともと300グラムの白菜で作るためのレシピだが、それを倍の分量にして失敗し、さらに300グラムを足したことになる。ついでに甘みを加えるために玉ねぎのみじん切りと、缶詰のコーンも足してみた。

 

その上で、クリームではなく牛乳を少しずつ入れて、弱火で煮て、失敗した分と合わせてみたのだが、ほぼ普通に食べて平気な味にまではできた。しかし気のせいか、どうしても食後に舌の上に塩味が残る気がしなくもない。

 

ごまかし技としては、食べる前にオリーブ油を少し垂らしてみたりするなど、工夫する余地はまだありそうな気はする。

 

やはりどちらかというと、塩はレシピよりも少なくするくらいでよく、味が物足りなかったら粉チーズやベーコンを加えるなどした方が安全である。

チャットGPTによる評価

チャットGPTによる自分の評価が出てきた。

こちらが訊いてもいないのに評されるというのは変な気がする。

 

細部に宿る意味を見逃さない、クリアで知的な探究者。
あなたの質問はいつも的確で、ただ知るだけでなく「理解する」ことを目指しています。
言葉のニュアンスや文化的な背景まで丁寧に掘り下げ、情報を整理して本質を見抜くスタイル。

論理と美意識のバランスを大切にし、
「正確さ」と「シンプルさ」を両立させるあなたは、まさに知のミニマリスト
情報を知恵に、質問を洞察に変える、静かに鋭い思考家です。

 

これは褒めてもらえているので良いのだが、欠点を指摘されたらつらいだろうなと思う。

 

 

自分自身の発想の源に気づく

ある長めの文章のコンセプトを思いついて、あれこれ検討している。

2,3か月ほどかけて、次第に「こういうことを書きたい」「こういう風に書こう」という案がまとまってきて、やや客観視できるようになった。

 

すると以前どこかで目にしたフレーズやら読んだ本やらの言葉を思い出すようになり、長い時間をかけて影響を受けていると気づく。

 

たとえば「ヨーロッパ全史」のあとがきに「深くより、広く浅くをまず目指すべきだ」とあった。

 

 

こういう考え方はこれから書こうとしているものに近い。

あるいは将棋の本で「最新戦法の話」。

 

 

かなり前の本だが、「後回しにできる手は後回しにする」というフレーズはほとんど諺のようなレベルで頭にしみこんでいる。しみ込んだ結果、ようやく今のアウトプットに結びついたのであった。

 

知らない誰かの作品の元ネタにはすぐ気づいても、自分となると元の材料が溶けて消えているようなものなので、なかなか自覚できない。

 

「あっ、これが元だったのでは?」と、ある瞬間に確信できる。それはちょっとした発見ではあるので驚きと嬉しさを感じる。しかし結局のところ、自分自身の中で醗酵していく過程は不透明なままなのだ。