自分自身の発想の源に気づく

ある長めの文章のコンセプトを思いついて、あれこれ検討している。

2,3か月ほどかけて、次第に「こういうことを書きたい」「こういう風に書こう」という案がまとまってきて、やや客観視できるようになった。

 

すると以前どこかで目にしたフレーズやら読んだ本やらの言葉を思い出すようになり、長い時間をかけて影響を受けていると気づく。

 

たとえば「ヨーロッパ全史」のあとがきに「深くより、広く浅くをまず目指すべきだ」とあった。

 

 

こういう考え方はこれから書こうとしているものに近い。

あるいは将棋の本で「最新戦法の話」。

 

 

かなり前の本だが、「後回しにできる手は後回しにする」というフレーズはほとんど諺のようなレベルで頭にしみこんでいる。しみ込んだ結果、ようやく今のアウトプットに結びついたのであった。

 

知らない誰かの作品の元ネタにはすぐ気づいても、自分となると元の材料が溶けて消えているようなものなので、なかなか自覚できない。

 

「あっ、これが元だったのでは?」と、ある瞬間に確信できる。それはちょっとした発見ではあるので驚きと嬉しさを感じる。しかし結局のところ、自分自身の中で醗酵していく過程は不透明なままなのだ。

文学フリマのことなと

このフロクてもちょいちょい書いていた「濁点・半濁点なし文」に関する考察なとをまとめた本を、先日の文学フリマ東京て販売しました。

 

売っている最中の様子

 

ほいてもって、ネット通販ても取り扱いを始めたのてお知らせします。中村四郎というのはヘンネームて、他に音楽関連の本も出しています。

 

n4s.thebase.in

 

noteの方にも関連記事か沢山あるのて、そちらもこ参照くたさい(こちらはN4書房名義)。

 

note.com

 

 

久々に出会った嫌なタイフ

「嫌な人物」とは職場にも近所にもいるものて、話としてはいろんな人からちょいちょい耳にするものた。

「うちの上司か信しられないハカてさ~」

「近所の誰それさんは、借金をお隣に返さすにすっとほけているらしい」

なとなと。

たまたま自分は、直接そのような人物とは関りを持たすにここ数年を過こせてきた。

しかし、耳を疑うほとの嫌味な言動を向けてくる人物か急に現れたのて、かえってシャッキリして目か覚めたような気分になっている。

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