最近の大谷教

自己啓発本の傾向が、仏教の流れにそっくり」という意見を見かけた。

 

以前の自己啓発本:自分で努力して出世、成功する!

その後の自己啓発本願うだけで、出世や成功の夢はかなう!

 

 

これが仏教の場合、

 

小乗仏教:出家して修業を積んで悟りを啓く!

大乗仏教出家しなくても、念仏を唱えれば救われるよ!

 

 

何だかものすごくイージーな方向へ進んでいるような気がする。要するに怠け者を甘やかして、怠け者から受けているだけに思えてきた。単に俗受けするだけの、大甘の理屈ではないか。

 

 

 

 

その点をはっきりさせるために「大谷翔平になりたい教」といった宗教を考えてみたい。

 

昔の大谷教:投打で活躍するためには、ピッチングとバッティングの猛練習が必要だ!

最近の大谷教:願っていれば、みんなが大谷翔平になれるよ!

 


いい加減だなあ。

しかし後者の方が絶対に受けそうだし、本当に21世紀の人類はこの程度でいいのだろうか。弱者救済というより、民衆の阿片ではないか。願っているうちに、間違いで火野正平にでもなった方が本人のためではないだろうか。