書くことあり日記:わからない会

先日、BSのコロッケの番組に声楽家の人(顔が大げさな感じの人)がゲストで出ていたのを1分だけ見たら、お互いに喩えを言っては「わからない」と嘆き合っていた。
しかし、少しも険悪な雰囲気ではなくて、お互いに遠慮なく「わからない」と素直に言っているので、かえって和やかで親密な雰囲気が感じられた。この二人はおそらく、元々仲のよい間柄だったのではないだろうか。

これを見て思いついたのだが、互いに「わからない」と言うことが大前提になっている会があったら面白い。

会話や説明に対して「わからない」と常に言い合い、意地でも「わかる」とは言わない会である。

 

「どうもこんにちは!今日はいい天気ですね」

「……さあ、わかりません。ここでない場所は大雨かも知れませんしね」

「全くわかりませんなあ、もしかしたら世界全体が全て晴れているかもしれませんがね」

「……。」

「何か飲みましょうか?」

「……何を飲んでいいのかわからないのですが」

「私もわからないなあ」

「試しにコーヒーでも注文してみましょう……」

「それじゃ、私はどんな味だかわからないけど、紅茶というやつを一つ」

 

こんな調子で会話をしているのである。


「最近、私は俳句に興味を感じております」

「俳句ですか、わかりませんね」

「俳句は言葉というか、音数を575にすればいいのです」

「うーん、難しい。実にわかりにくいですな」

「それに、季語を入れればいいんですよ」

「季語!季語という概念がまたわからない」

「えー季語というのはですね、……私もわからなくなってきた」

 

聞き手が「わからない」と言えば言うほど、言いだしっぺは話す羽目になる。

常に片方はよく喋るので、決して盛り上がりもないが、あまり盛り下がりもしない。

また、喋るのが面倒になってきたら「わからない」で済むので便利である。

 

最後に、

「また次回もこの会を開きましょう」

と言っても皆、

「……次回、来られるかどうか、わかりません」

「私もわかりませんなあ」

となる。

そう言いながらもまた集まるという、特殊な会なのである。

 

馴れ合いを拒否しながらも、それとなく察して行動する点が日本的で良い。

と言えなくもない。

 

ちなみに冒頭の番組には、アシスタント的に唐橋ユミも出演していて、私は唐橋ユミの魅力は割とわかる

 

わたしの空気のつくりかた: 出すぎず、引きすぎず、現場を輝かせる仕事術

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