前回の続き!
6. かめ
わかめ酒すなわちそれはヘルシーでかつ漁師の好む祝い酒かも
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「かめ」「こい」というお題は普通に考えると「亀」「恋」だと思うのだが、ひらがなで書く必然性がないので困った。
この手の平仮名のお題は「いかに誤魔化すか」「いかにこじつけるか」から入らないといけないので、面倒といえば面倒だし、思いがけないものが出てくる可能性もあるので一長一短である。
この場合は「別の単語の一部にする」という、ありがちな逃げ方をしてみた。
「わかめ酒」なら平仮名でも不自然ではない。
わかめ酒すなわちそれは健康的で漁師好みの粋な酒かも
わかめ酒すなわちそれはヘルシーでかつ漁師の好む粋な酒かも
字面だけを見ると「わかめ酒」の印象は健康的である。だから、こういう勘違いをしても不思議ではないと考えた。
さらに、検索したら本当に売っていたので驚いた。
最終的には「粋な酒」を「祝い酒」にした程度で、割とすぐに完成した。
7. 発情
発情期一部始終を見てゐたり線香花火の起承転結
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この歌の芯となる発想は、
「線香花火の始まりから終りまでと、発情期から出産に到るまでの過程は似ている」
という発見で、単純に「似てるよね~」と言いたいだけである。
最後にボトッと火の玉が落ちるところなど、まさしく出産みたいである。
しかし、それをどう57577に収めたらいいのか、語順はどうするべきかで悩んだ。
発情期の一部始終を転写せよ線香花火の起承転結
発情期の一部始終を翻訳す線香花火の起承転結
発情期の一部始終を説諭する線香花火の起承転結
発情期の一部始終を説くごとき線香花火の起承転結
発情期の一部始終を見てゐたり線香花火の起承転結〇
発情期一部始終を見ていたような線香花火の起承転結
発情期一部始終を見ていたような線香花火のドラマの起伏
発情期一部始終を見ていたような線香花火の起伏と結末
発情期一部始終を見ていたような線香花火の起伏と結論
発情期一部始終を見てゐたり線香花火の起承転結◎
最終的には「ゐ」を中心にして何となく左右対称っぽくなっているものを選んだ。
意味としては、
「(私が)線香花火の最初から最後までを見ていた。線香花火の様子はあたかも発情期の一部始終のようであった」
というつもりなのだが、
「あたかも(私の)発情期の一部始終を見ていたかのような線香花火が、まるで発情期の推移をなぞるかのような起承転結を繰り広げた」
という風に解釈されても不思議ではない。
つまり「見てゐた」の主語が、書いていない「私」でもいいし「線香花火」とも読めてしまう。
「どんな感想も各自の自由だ」「どれも正解だ」という発言を時々見かけるが、この短歌は書く側が曖昧さを残してしまったせいで、意味を取りにくくなっているだけである。
こういう風にどちらにも受けとれるというのは「多様な解釈を受け入れる」というよりは、単なる推敲不足のせいなので、それは分かっていたのだがどうしても代案を思いつけなかった。
8. こい
こいのひげひっぱりたくてもぬるぬるでぱくぱくしながらにげてしす
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これも「かめ」と同様に、「恋」「鯉」などで行くなら「こい」と平仮名で書く必然性が欲しいところである。
ここは「いかにも子供が書いたような雰囲気の短歌」で誤魔化してみよう!
という作戦で行くことにした。
これも逃げテクニック、略して「逃げテク」なので、皆さんも困った時には使ってほしい。
こいのひげひっぱりたくてもぬるぬるでぱくぱくしながらにげてきえ
推敲は、「きえ」を「しす」に変えただけで、所要時間は1分くらい。
子供が書いたみたいな短歌だなと思わせておいて、最後でややドキッとさせたいという意図である。
9. 茜さす
茜さすあの曲の頃の君いつも風評被害でそれは今でも
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「茜さす」は「紫野ゆき~」という有名な和歌と、あとは椎名林檎の曲でそういうのがあったなという、この二つしか思い浮かばなかった。
茜さすというあの曲の頃の君はいつも今でも怒りながらコンパスを回す
茜さすあの曲の頃の君いつも今でも怒りつつコンパス回す
「あの曲の頃の君」とか「いつも今でも」とか、どうも陳腐な歌詞のようでよくないと思ったが、すらっと流れるような雰囲気があるので大幅には直せなかった。「いつも」と「今でも」は少し離した。後半のコンパスは、なぜこういうことを思いついたのかすっかり忘れてしまった。
このお題を考えていた時に知人が急死してしまい、その人のイメージと椎名林檎のイメージが半々くらいに入っている。
生前は毀誉褒貶がいろいろあった人なので、その辺りから「風評被害」という言葉がポロッと出てきたのであった。
10. 虹
村人が昨日も今日も倒れ逝く縄文時代の虹の根元で
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虹は「希望」という意味を担っているので、それをそのまま書いたらまずいだろうなとは思った。
「原始時代や恐竜がいた頃や、それ以前にも虹という自然現象はあったはず」
という発想が出発点になっている。
村人が今日も明日もまた倒れゆく縄文時代の虹の根元で
村人が昨日も今日も倒れ逝く縄文時代の虹の根元で
「今日も明日も」を「昨日も今日も」、「ゆく」を「逝く」に変えただけで、さほど時間がかからなかった。希望とも絶望とも言えないような、単に虹が「ある」「出ている」という存在感のようなものが出せたような気がする。
今月は何となく細かい点が気になってあれこれ推敲するケースと、発想から完成までの時間が短いケースと、はっきり分かれたように思う。
短歌を作っていると思いがけない発見が多々あり、月に一回、お題が十、締め切りまで十日間というペースも量も自分にはやりやすいので、なるべく次回以降も参加してみたい。