「新しい遊びのルールを考えよう!」
これが普通の「進歩的」風の教育の課題である。
これをもっと進化させると、
「ルールのない遊びを考えよう!」
となる。
これはけっこう難しい。
本気で考えても難しい。
「こういう風になった方が勝ち」
「こうなったらお終い」
と、終了条件や勝利条件を決めた瞬間にルールになってしまう。
自分がふと思いついたのは、
「球のないキャッチボール」
だが、
「それって、単なるパントマイムじゃないですか?」
と別の自分がツッコミを入れてくる。
もっとこの遊びを発展させると、
「球がなく、受け止める必要もなく、投げる必要もないキャッチボール」
となる。
これでは「ルールがない」どころか、何もない。おそらく、相手もいない。
消えてしまった……。
いや、そもそも「ルールがない」という状態を考えるお題に無理があり、いきなり答えを出そうというアプローチにも無理があるのだ。
正解になるべく近いものを提示するには「ルールのある遊び」から「ルール」を少しずつ引き算していけばいい。
たとえば、
「すごろく」から「サイコロを使う」というルールを引く。
つまり、
「すごろくなんだけど、サイコロを振らない」
というのはどうか。
プレイヤーは、自分の番になったら好きな数字で駒を動かす。
「すごろくなんだけど、サイコロを振らないで、好きな数だけコマを進める」。
こうすると、ほぼアドリブ劇になってしまう。
お互いに顔色を伺いながら「3」だけ進んだり、急に「6」進んだり、ゴール寸前で「1」が出たり。
中には、好きな女の子のコマにぴったり付いていくだけの、ストーカー的なコマもあるかもしれない。
メンツ次第で、盛り上がったり盛り上がらなかったりする。
これをもっと発展させて、すごろくのスタートとゴールもなくしてしまえばいい。
コマもなくして、自分自身がコマになる。
友達の家で楽しくすごろくをプレイしていた筈が、
「じゃあ、僕の番だね。好きな数だけ前進しちゃうぞ」
とか言って、急に家に帰っちゃう。そっち方面にこのプレイヤーのゴールがあるのだ(多分)。
「それなら、あたしも好きな数だけ前進しちゃうわ」
「俺も」
「あたいも」
皆が好き勝手な方向に進む。自由に振る舞うのだ。各自のゴールを目指して……。
自由に生きよ! 若者たち!
それはともかく、
「ルールのない遊びを考えよう!」
という試み自体が「ルールのない遊び」みたいなものなので、ルールにとらわれず、皆さんもチャレンジしてみましょうね。