「避難体験オペラ」in新国立劇場

 

 

新国立劇場で開催された「避難体験オペラ」に行ってきた。
これまで無料のブログを利用して、あちこちで日記や雑録を書いてきたが、何かのレポートというのは今回が初めてである。

そう考えると緊張するが、来年以降も似たような催しがあったとして、行くべきかどうか迷っているという人がこの記事を見つけたとしたら、何かのヒントか参考にはなるかもしれない。

 特にひねったような意見は書かないので、ごく淡々と、時間順に出来事をたどりつつ感想を書いてみることにする。

 

10:50 初台駅到着

 

新宿からひと駅で着く(2分)初台駅で降りて、改札を出るともう新国立劇場への通路である。右か左かという二択で右に進むと、すぐエスカレーターがあって、地上に出ると新国立劇場の正面入り口に到着する。
ガラガラではないが混雑してもいなかった。

 


11:00 開場

 

正面入り口から入って「一般」「マスコミ」、他に「ご招待」の方用、と何ヶ所かに受付が分かれていた。
自分はネットで申し込んだので「一般」受付で当選メールを印刷したものを見せてチケットを渡された。

このとき、受付の人は一旦は4つに分けられたチケットの束のうち右上のものに手が伸びたのをやめて、左下の束からチケットを取って渡してくれた。
その席は一階の前から11列という良席×4枚であった。

当初、三階や四階のあまりよろしくない席にしようとして、「4人連れだから一階の横並び席にしてあげよう」という配慮が働いたのであろうか。
それとも、何か別の理由があるのか。
一応、良い席なので問題はないが、印象としては微妙なところであった。
ここでパンフレットを手渡された。曲目が9曲、他に歌手プロフィール、避難に関する注意書き、他にチラシなど。
この受付からぐるっと周るように折り返しながら階段を上って、戻るような方向で席に向かう形となる。
つまり、一階から一旦は二階に上がって、座席の後方からなだらかな坂(階段)を降りるようにして席に到着する。

 


11:30 開演

 

開演してすぐ支配人による本日のご挨拶。
「避難する際に、今日はまた席に戻ってくる必要があるのでチケットの半券を忘れずに持っていて下さいね」
という発言があって、その後で、
「普段は別にチケットの半券をなくしても構わないですけどね」
といったニュアンスの発言もあった。
しかしこれは失言で、もし実際にオペラの途中で避難する事態になった場合は、チケットの払い戻しの際に証拠として半券が必要になる、だから普段から紛失してはいけない、という訂正が後から入った。

続いていよいよ「オペラ」だが、オペラといっても舞台装置や筋があったりはせず、ピアノ二台の演奏とオペラ研修所修了生による独唱、もしくは四人以上の歌い手による歌唱が中心であった。

全9曲が予定されているので、おそらく三十分程度の歌と、三十分程度の避難訓練と、三十分程度の続きかなというのが私の予想だったが、二曲目が終っていきなり仮想の地震が来て「ゴーッ」という音が響いた。
はじめこれは「電車が通る音」か?と感じたような音で、すぐにアナウンスが入り「身を低くして余震の過ぎ去るのを待ちましょう」といった指示だった。

余震がどのくらい続くものなのか、よくは分からないが数分後に移動を開始して、皆でゾロゾロと通路を普通に歩いて二階のバルコニーまで移動した。

観客は単に移動する、というだけで、私もほぼ人の流れに身を任せているのみであった。関係の無い雑談をしている人や、なぜか紅白帽を用意してかぶっている人もいた。

全体的に係員や関係者の動きや指示は昔ながらの「避難訓練」の域を出ないもので、学校行事の一つとして行われた避難訓練の緊張感のなさと同じような空気が感じられた。

もともと「リーダーシップを発揮することに長けている」といったタイプが一人もいないように見受けられた。指示の声も近くにいれば一応聞こえるし、そうでなければほぼ聞こえないといった程度の大きさで、練習だから誰も本気で聞こうとは思っていない。

理想を言うなら、避難する観客と誘導する係員の関係は、

「羊の群れと牧羊犬」

のようでなければならない筈だが、黒い羊と白い羊がゴチャゴチャしながら移動しているだけ、といった光景であった。

今日は曇り空だったので、かえって外は涼しくて気持ちよいくらいであったものの、これがもし最高気温37度などという日であれば、係員の指示や段取りに対する反感の持たれ方がかなり違ってくるようにも思える。

その後は二階から階段を降りて、一階の正面玄関からまた最初と同様にぐるっと周るようにして席についた。
戻る途中でウェットティッシュを配っていて、これは気の利いた計らいであった。

 


12:30 再開

 

その後、しばらく休憩があって12:30から再開、また支配人の挨拶と「メガホンを使った場合」「肉声の場合」の聴こえ方の比較、それから消防署の人の講評もあったが、これも小中学校時代のものと同様に、退屈で誰も聞かない類の話であった。
自分は小中学校時代と同じように、
「この消防署の人が急に歌い始めれば、絶対受けるのにな」
などと考えていた。
それにしても久々に「退屈な話をする人-それを聞く大勢の人々」という場に居合わせたように思う。

その後は残り7曲の歌唱。
寄席で聴く落語のように、下手な人から順番にやってくれれば良し悪しがはっきりするのだが、皆そこそこ上手いのか、そうでもないのかハッキリしないような歌だった。
しかし徐々に盛り上がっていって、最後の「乾杯の歌」、全員の合唱では「ブラボー!」という声もチラホラ飛んだ。

終ってからは隣の東京オペラシティ53階の叙々苑で焼肉を食べて帰ってきた。
新宿駅でⅩ-GUNの太っている方の人を見かけた。

 


【まとめ】

 

万一の大災害時には、おそらく新国立劇場に限らず「劇場の係員、スタッフ、責任者」を頼りにはできないだろうなというのが私の得た印象かつ教訓である。

とにかく千人もの観客の中に大怪我を負う人、パニックになる人、泣き叫ぶ人などが出てきたら誰にも全体をコントロールはできないだろう。
そうなった場合に臨機応変の、柔軟な、機敏な、機転の利いた誘導、案内、対応を期待するのは無理というものだ。

「まともな誰かがいて、自分を導いてくれる」という発想自体が(地震に限らず)自然災害全般に向いていない姿勢なのではないか。

仮に劇場の人がしっかりしていたとしても、新宿駅にいる時に大きな余震に巻き込まれたら、駅員の指示など仰いではいられない。
「人を見殺しにしてでも自分は逃げる」という選択や、あるいは「自分を犠牲にしてでも誰かを助けざるを得ない」という局面に出くわすかもしれないが、それは本当に何かが起こってからでないとできない判断である。