筆記具や気分の良し悪しや体調で、自分の筆跡が変わってしまう。
そんな悩みをお持ちの方はいませんか?
ちなみに私の場合、小学生の頃からこの件を不思議に思っていた。
そして、大人になってもさほど解決されないまま現在に到っている。
小学生の頃は毎日、鉛筆を使って字を書いていた訳だが、鉛筆の芯というやつは常に一定の形を維持しているかと言うと、そうでもない。
字を書いているうちに、先っちょがマイナスドライバー的に変形してくることもあるのだ。
そうなると縦の線は太く、横の線はうんと細くなって、英語の筆記体を書きたくなるような優雅な気分になってくる。あるいは、意識して上手な字を書きたくなる気分というか、とにかくそういうコンディションになって、普段の字とは異なってくる。
また、下敷きの硬さや、給食のメニュー、可愛い女の子の席の位置、先生の怖さやその日の自分の機嫌、温度や湿度などによっても多少は筆跡が左右されたように記憶している。時々は別人が書いたような文字になってしまうほどであった。
その後、大人になってから筆跡が安定したかというと、そうでもない。今でもボールペンの太さや種類によって、かなり違う字を書いているように思う。
特に今ごろの季節など、朝からずっと暖房が必要になるほど寒い日もある。
「暖房はつけたものの、まだ部屋が充分に暖まっていない」
という状況下で文字を書こうとすると、変な風に指先が縮こまってしまうこともある。
その結果、やけに上手に文字が書けてしまうことがある。
先日は偶然、お客様向けの手紙に「いい人」っぽい文字が書けてしまったので、かえって恐縮してしまった。
なるべくなら自分も「いい人」でいたいと思ってはいるのだが、余りにも、清く、正しく、美しすぎる字なので、
恥ずかしい……。
と思ってしまうほどであった。
↑
正直な話、私はここまで「いい人」っぽい字を書くほどの「いい人」ではないのです!この字はたまたま美しいですけど、ウソです!すみません!
と、その美麗な文字の下に言い訳のポストイットを貼り付けたくなるほどなのであった。
しかし、その言い訳を書く為には、あえて下手クソな、普段の字が書ける程度に手のコンディションが低下するのを待って、それから慎重に下手な字で言い訳を書かなければならない。
また、同一人物ですよ、と自然にアピールする為に、そこそこ似せ気味にしておく必要もある。
いや、あえて筆記用具を変えて、確実に違いを演出した方がいいかも?
考えているうちに、自分が自分の贋物になって、自分を乗っ取ろうとしているように思えてきた。
「やめろ!自分!」「構うもんか、いい人で何が悪いんだ!」「待て、自分!落ち着いてくれ!」「俺は本当に、いい人なんだ!バカ野郎!」「いい人が自分に向かって、バカ野郎なんて言うのか!」「うるせえ、ほっといてくれ!」「わからず屋!」「やかましい!俺は正真正銘のいい人なんだ!」
などと一人芝居風に考えているうちにコンディションが急低下したので、最初から全て書き直した。