俳句の本を読む:「松蘿玉液 」正岡子規

 

 

正岡子規の随筆集は「随筆」と言っても今の随筆とは異なり、日記や創作や批評や政治論や俳句論やらがゴチャゴチャに混ざっていて、猥雑な面白さに満ちている。

この「松蘿玉液」はたまたま立ち読みでパラパラ見ていたら、類想句の話題が出ていたので買ってみた。

77ページの「暗号瓢窃」から90ぺージまで、およそ五十句ほどの例を挙げてあれこれ書いてあるのだが、どれが剽窃でどれは偶然と判別できるものでもなく、最初から「当人ならでは知るべからず」と書いてあるし、はっきりこうだといった結論というほどの結論はない。

それでもこの問題を手際よく整理してあって、剽窃と偶然の一致のほか「不明瞭なる記憶」もあるだろうという指摘など、いま現在は最有力の理由ではないだろうか。

 

松蘿玉液 (岩波文庫)

松蘿玉液 (岩波文庫)

 

 

例を幾つか挙げてみると、

 

初雪のはづかしさうに降りにけり

初雪やはづかしさうに降りしまひ

 

見る人も廻り燈篭にまはりけり

物うげに廻り燈篭のまはりけり

 

このような感じである。

並べてみと、現代の俳句の本でよく目にする、添削例の前と後のようでもある。

正直な話、

「どっちでもいいじゃん、両方とも駄目なんだからさ」

と言いたくなるケースも目につくが、細かい一字の違いで良くなるというケースも多い。

俳句に限らず、音楽や絵画でも「パクリ」「オマージュ」「パロディ」「偶然」「引用」の境目は曖昧、かつ悪質な例も多いので、芸術や創作の存在する限りは尽きない問題と言えそうである。

仮に剽窃して俳句の世界で有名になったとしても、地位や名誉や金銭や権力が得られる訳ではなく、露呈もしやすい。そういう訳で、俳句の場合はハイリスクローリターンすぎるのではないかと個人的には思っている。

 

この本はこの部分以外にも俳句の話題があちらこちらに出てくるが、俳句の本としてのお勧めはできない。多少おすすめなのは30ページにある「器の大小」くらいで、この文章は1ページしかない。

そういう訳で☆なしというか、この文章を読みたいだけの人はここだけを読めばいいし、そうでない人は日本人に「野球」という未知のスポーツを紹介した文章があるので、そちらを読んだ方が面白い。

調べてみたらその文章は青空文庫で読めるので、結局この本を買うほどのことはなし。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/43619_16934.html


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