新潮社のサイトでは「人生論ノート」は「大哲学者が説く、私たちの生き方指南。」と紹介されているが、あまり「生き方」を教えてくれるような本ではないように思う。
人生論というよりは、物事の見方や受け止め方、考え方のヒントをくれるような本なので、いっそのこと「考えるヒント」と改題しても通るのではないか。
では前回の続きで第七位。
感傷は制作的でなくて鑑賞的である。しかし私は感傷によつて何を鑑賞するのであらうか。物の中に入らないで私は物を鑑賞し得るであらうか。感傷において私は物を味つてゐるのでなく自分自身を味つてゐるのである。いな、正確にいふと、私は自分自身を味つてゐるのでさへなく、ただ感傷そのものを味つてゐるのである。(感傷について)
たとえば短歌を作ると、すぐに感傷的な方向へと傾く癖のついている人がいて、何でもそういう色に染めてしまう。自分自身と同じくらい感傷は扱いにくい。
第六位。
風采や氣質や才能については、各人に個性があることは誰も知つてゐる。しかるに健康について同じやうに、それが全く個性的なものであることを誰も理解してゐるであらうか。この場合ひとはただ丈夫なとか弱いとかいふ甚だ一般的な判斷で滿足してゐるやうに思はれる。ところが戀愛や結婚や交際において幸福と不幸を決定するひとつの最も重要な要素は、各自の健康における極めて個性的なものである。(健康について)
音楽や運動神経に関する才能の差は、努力では埋め難いものとして皆が捉えているようである。
健康にもかなりの差があるものなので、個性どころか将来的には差別待遇的に格差が開くものと思われる。
第五位は!
噂は誰のものでもない、噂されてゐる當人のものでさへない。噂は社會的なものであるにしても、嚴密にいふと、社會のものでもない。この實體のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じてゐる。噂は原初的な形式におけるフィクションである。(噂について)
この短文を読むといつも「原田知世は***を食べている」という噂を思い出す。
「根も葉もない」どころか、悪意すら感じられないほどの純粋なフィクションではないだろうか。
第四位!
たとへば人と對談してゐる最中に私は突然默り込むことがある。そんな時、私は瞑想に訪問されたのである。瞑想はつねに不意の客である。私はそれを招くのでなく、また招くこともできない。しかしそれの來るときにはあらゆるものにも拘らず來るのである。「これから瞑想しよう」などといふことはおよそ愚にも附かぬことだ。私の爲し得ることはせいぜいこの不意の客に對して常に準備をしておくことである。(瞑想について)
三木清は擬人法が上手い。
しかも外国の小説家の使う擬人法のように自然で、単純で、意味がすんなり頭に入ってくる。
第三位!
私は動きながら喜ぶことができる、喜びは私の運動を活溌にしさへするであらう。私は動きながら怒ることができる、怒は私の運動を激烈にしさへするであらう。しかるに感傷の場合、私は立ち停まる、少くとも靜止に近い状態が私に必要であるやうに思はれる。動き始めるや否や、感傷はやむか、もしくは他のものに變つてゆく。故に人を感傷から脱しさせようとするには、先づ彼を立たせ、彼に動くことを強要するのである。 (感傷について)
体を動かせば精神衛生上いいですよというだけの話だが、これは真理中の真理である。
精神的に参っている人は、胡散臭い心理カウンセラーに金を払って相談などせずに、運動靴を買ってハーフマラソンでも目標にした方が絶対に良い。
この文章からは、対句で同じことを二度言うという技術を盗みたい。
第二位!
怒を避ける最上の手段は機智である。
(怒について)
他人の怒りがこちらに向かっている場合、機智で難を逃れるのは難しい。
自分自身の怒りも、やはり機智で逃れることは困難である。
だんだん自分の文章も三木清風になってきた。
いよいよ、
栄光の、
第一位は!!
假に誰も死なないものとする。さうすれば、俺だけは死んでみせるぞといつて死を企てる者がきつと出てくるに違ひないと思ふ。人間の虚榮心は死をも對象とすることができるまでに大きい。そのやうな人間が虚榮的であることは何人も直ちに理解して嘲笑するであらう。しかるに世の中にはこれに劣らぬ虚榮の出來事が多いことにひとは容易に氣附かないのである。(死について)
「俺だけは死んでみせるぞ」という台詞が妙に可笑しいので、初めて読んで以来ずっと印象に残っている。
この手の自己アピール兼脅迫は、最近だとミニチュア化されて「もうブログやめます!」宣言になっている。なぜかそういう宣言をした人は、三日もしないうちにまた再開する(そういうケースを五回くらい目撃したような気がする)。
何しろ「虚榮の出來事」の多い世の中なので仕方がない。
【追記】角川文庫からも「人生論ノート」が出ている。
こちらは「語られざる哲学」と、自分の娘へ当てた書簡「幼き者の為に」の二篇が加えられている。
【前編】↓はこちら。