褒められて初めて気が付いたのだが、自分にとって読書とは息を吸ったり吐いたり、あるいは水を飲むようなものなので、何か特別なことをしているという意識が薄い。
ただ冷静によく考えてみると、読書とはまず第一に娯楽、気分転換、ストレス解消、暇つぶし、リラクゼーションを兼ねた楽しいものであって、さらに陶酔して酩酊するための酒や麻薬に似た嗜好品のようなものでもあって、かつ仕事のための情報収集と勉強なども兼ねている。これをもう一度整理して言い直してみると「遊び8:学び2」くらいの割合である。
ただしこの割合は、知らなかったことを知るという喜びを「遊び」に近いものとして楽しめるか、苦痛で面倒な「学び」として受け止めるかによってもかなり違ってくるものなので、興味深い内容がよい文章と構成で書いてある良書をスイスイ読むのであれば、学びもかなり楽しい遊びに近くなってくる。そう考えると感覚的には「遊び9:学び1」くらいの割合にもなり得るのである。
ところが世間一般では、読書イコール偉い、ご立派、知性と教養の源、と捉えすぎている節があって、何となく調子が狂ってしまう。

- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
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そもそもショーペンハウエルどころか活版印刷が始まった頃からずっと、読書に対する「自分で考える力がつかない」「物を覚えなくなる」といった批判は根強くあるもので、あまり本を読むという行為を尊敬しすぎないように、皆さん少し頭を冷やしましょうよと言いたい。読書とは単なる手段とも言えるし、あるいは悪癖や病気の一症状に近いものでもあって、そう威張れた趣味ではない。