「リターン」を用意するのは難しいのか

 

 

以前、そこそこ有名な知人から「イベントをやりたいが資金がない」という悩みを話されて「それならクラウドファンディングで集めればよいのでは?」と提案したことがあった。

無名の誰かが「寄付」という名目でマラソンをするだけで何十万円も集まるくらいなので、そこそこ有名な人の主催するイベントならもっと集まるのではないか。しかしその時は「リターンの商品を用意するのが難しいんですよ」と言われて、即お流れになった。

資金集めにおいて「リターン」という要素は大きな壁と考えられがちだが、実際に取り組んでみると決して何もできない訳ではない。

「高い金額のかかるリターンでなければ人が集まらない」と考えるなら「安い金額で可能なリターンを複数用意する」とすればカバーできなくはない。

「何もリターンを用意できない」とは要するに考えるつもりがなく、意欲がなく、検討すらしていないのと同義ではないか。

出資者に喜ばれそうなリターンとして、自分の場合は、

「ゲームの説明書に出資者の名前を書き添えることで感謝の意を表明する」

という案がある。

これは金銭や手間がほとんどかからず「名誉を与える」という無形のリターンといえる(中には「名前を出されるのは恥ずかしい」と考える出資者もいるかもしれないので、この権利は「辞退可能」としておく)。

たまたま昨夜読んだ「クラウドファンディング ストーリーズ(出川光)」には、似たようなリターンの例が日本にはもともとあったのだという指摘があった。

 

 

実は日本には、もともとクラウドファンディングに似た仕組みが存在する。例えばお祭りのとき、提灯に企業名や個人名が書かれているのを見たことがあるだろう。あれは、お祭りを開催する費用を提供してくれた協力者の名前だ。協力者にとっては名誉であり、お祭りの一部になれたような高揚感が得られるある種のリターンと言ってよい。(略)つまり、お祭りというプロジェクトに対して事前にお金を募るクラウドファンディング的な仕組みといえる。               (P.38-39)

 

このように、過去の事例と自分の案の類似を知ると、答え合わせができた気になる。

「その考えは間違っていません」

と、思いがけない方向から太鼓判を押されたような嬉しさを味わえるので、これもまたクラウドファンディングという大きなゲームの一部といえる。