書くことなし日記:ゆらゆら帝国編

 

 

「買ってよかったもの」の話題でゆらゆら帝国のことを書いたら思いのほか好評だったので、続きのような雑感を少し書く。

その時にも触れたが、前々から「ロック」というジャンルには思い入れが持てなかった。

リーゼントに革ジャンといったスタイルには興味がわかず、同化できない。「権威への反抗」と言われてもポーズにしか見えない。ツェッペリンストーンズの魅力は今でもよく分からない。ただ、比較的ビートルズの中のロック寄りの曲くらいなら、まあまあ理解できるといった軟弱者なのであった。

しかし、例外的に好きになったロック関連のミュージシャンとしては、タイマーズが挙げられる。

さる有名な人物が「タイマーズ」の「ゼリー」へと変貌するまでの経緯は省略するが、タイマーズが明らかに他の「ロック」と違っていたのは、音楽に露骨なほど生々しい怒りが込められていた点であった。

 

ザ・タイマーズ

ザ・タイマーズ

 

 

それまで、音楽に悲しみや切なさや明るさや美しさが込められている状態を何度も耳にしてきたが、怒りを原動力にした音楽と言葉の力を思い知ったのは今から二十年以上も前のその時が最初であった。

2014年の今、それを聴き直してもシンプルなだけに色あせていない。

「♪参議院議員~」と歌うだけで嫌味たらたらの毒矢が飛んで来るような、ドスのきいた迫力がある。

だからといって、

「怒り」があれば本物のロックで、そうでないものはロックとして認めやしないぜ!!

と言いたい訳ではない。

その後、明らかにロックというジャンルで惹かれた数少ない作品として、フラテリスの1stが挙げられるが、これなど怒りどころか、歌詞で何を言っているのかもよく知らないほどである。

だから結局、自分が好きなのはメロディとかリズムとかハーモニーとかアレンジで、主義主張やジャンルは二の次、三の次なのかもしれない。

 

コステロ・ミュージック

コステロ・ミュージック

 

 

ゆらゆら帝国の場合は明らかにロックである。しかし、タイマーズと比較してみると「怒り」の成分が著しく低い。気をつけて聴いてみても、桁違いに低すぎるほど低い。

「怒り」に似た要素はあるのだが、聴けば聴くほどそれは歌詞の上においても「怒り」とは全く異なる何かである。

 

死ぬまでいっしょにいましょうと
言ってた小鳥は逃げた
なんだかいいことありそうな
青空が悪いの

昔の仲間は一人ずつ
はなれて今ではもういない
新しいことができそうな
太陽が悪いの

さよならみなさん
さようなら
さよならみなさん
太陽のうそつき


この曲に限らず、対象のある怒りというよりも、対象の無いような、最初から行き場の無い諦念のような要素が強い。その周りに、無力感、退屈、遣る瀬なさ、自暴自棄、逃避、退行、感傷、夢、幻覚、狂気等がチラホラと漂っている。

衝動的な犯罪を犯した誰かが口にする「ムシャクシャしてやった」の「ムシャクシャ」がそのまま音になったような音楽に、そういった歌詞が乗っかっていて、アルバムが増えるごとに少しずつ浮き世から離れていって、最終的に解脱してしまったような印象である。

 

空洞です

空洞です

 

 

尖っているのに、どこかフワフワしていて、雲のように捉えどころがない。だから長く聴いても飽きないのだろうか。ちなみに坂本慎太郎のソロは、どこか仏教用語の「彼岸」っぽい。

そう言われても何が何だかさっぱり分からない、という人も大勢いるだろうが、これ以上の説明は難しいのでぜひ現物を聴いてみてほしい。たとえ今、ピンと来なくても二十年後くらいにピンと来る可能性は高いので。


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