俳句の本を読む:「俳句 四合目からの出発」

 

 

大抵の本は一読した直後におよその印象や評価が定まって、それ以降ほぼ動かない。だから再読して評価が上がったりすると、それがかなりの名作であると実感できる。

この本はかれこれ二十年以上も手許にあって時々読み返しているが、印象も評価もその時その時で上下動しているという珍しい本である。ひと言では言い難いものがあるので、今回はその印象の推移を順番に追ってみたい。

 

1.星新一「きまぐれ博物誌」

 

きっかけは中一の頃で、星新一のエッセー集「きまぐれ博物誌」に収録されている書評でこの本を知った。当時の私はまだ純朴であったため、本というものは真面目な人が真面目な内容を真面目に書くものだと固く信じていた。

 

 

ところが星新一は、素人の俳句(だけでなく日常生活における言語表現全般)が紋切り型に満ちているという事実を、いかにも楽しそうに「こんな面白いことを言っている本があるぞ」といった調子でいくつも例を挙げて紹介していたのであった。この本自体、これでもかというほど例句が豊富である。

 

 

カンナはいつも「燃え」、「一つ」だけ枝に残った柿はきまって「夕陽」に照らされ、妻は「若く」、母は「小さい」――だれでも初めて俳句に手を出すとまず口をついて出てくるのが、こうしたきまり文句。初心者はこの紋切型表現と手を切らなければ、「四合目」から上に登ることはできないと阿部しょう人は説く。初心俳句の最も根深い欠陥をこれほど具体的に解明した本は他に例を見ず入門書としてこれは独創というに値する。(解説より)

 

 

ひと言で言うと、駄句を多く並べて「こういう言葉を使ってはいけない」という駄目出しを延々とする本である。

いま風に言うなら「初心者俳句あるある」なので、本当にそう改題して売れば売れそうに思うほどである。当時、興味はそそられたものの実物にはお目にかかれなかった。

 

俳句―四合目からの出発 (1967年)

俳句―四合目からの出発 (1967年)

 

 

 

2.面白い奇書

 

67年刊の本が84年に講談社学術文庫に入った。

いま考えると時期的には中学生のうちに買えなくもなかったのだが、実際に購入したのは大学生になってからで、書店でたまたま発見し「あっ、これは星新一が褒めていたあの本では?」と驚いて買ってみた。

読んでみるとやはりその通りで、今に到るまでずっと絶版になっていない。この頃は時々、変った本の特集などで一種の奇書、読んで面白い珍本として扱われてもいた。古本屋で、店主と客がこの本について会話しているのを聞いた記憶もある。

 

俳句 (講談社学術文庫)

俳句 (講談社学術文庫)

 

 

 

3.悪口の本

 

また時が過ぎて、ネットで他人と不毛な論争を交わす機会や論争を読む機会が増えた。そして「便所の落書き」と呼ばれた2ちゃんねるが出てきた辺りで一旦ネットマナーやネチケットという言葉が定着した。

おおむね常識的な人間は悪口を言ったり罵りあったりはしないものだ、見てもスルーするものだといった態度が身についてくると、今度は逆に鋭い悪口が懐かしくなったり、じっくり鑑賞できたりするようにもなる。

さらにある程度の年齢を重ねると、激しい悪口雑言の裏には妬みや僻み、嫉みや恨みが相当に混じっていることにも気づいてしまう。そうなると著者に憐れみすら感じるようになってくる。

またこの本では、駄句に雷を落とすような駄目出しはしても、細かい添削や指導はしないので「どう直すべきか」という議論にある程度の責任と自信を持って指導している著者の本の方が読んでいて面白く感じられるということもある(例えば「プレバト!!」で超辛口先生としてお馴染みの夏井いつき)。

 

超辛口先生の赤ペン俳句教室

超辛口先生の赤ペン俳句教室

 

 

かくして悪口に客観的な距離をとれるようになると、ややこの本の評価は下降傾向になっていくのであった。

 

 

4.必要悪であり痛棒

 

つい最近になって、自分でも短歌や俳句もどきを作るようになってから再読してみると、本書はやはり良書の部類に入るように思えてきた。

というのは、大抵の悪口本は有名人同士であってさえ実名や細かいデータなどが煩雑になって、そういう部分から腐り始めてしまうのだが、この本の場合は無名の素人の句を名なしで挙げているせいで、大部ながら実にスッキリしているのである。もし一句ごとに発表時期、媒体、書き手の名前などが添えられていたら、とても読めたものではない。

第二には、ネットでもリアルでも、ありがちな表現を「ありがち」と言えないような空気が蔓延しているからである。しばしばブログを天才的に炎上させてしまう人、犯罪的な行為をツイッターで予告する人などは目立つが、そういう人種でもなければ、誰が何を書いてもさほど注目を浴びず、批判もされない。中には堂々と犯行経緯を書いてすら注目を浴びない人までいる。

俳句や短歌も素人同士では「こういう表現はよくない」とはまず言わないし、言えない。この本のような痛烈な駄目出しは、むしろ今の世の中ではかえって貴重な必要悪といえるのではないか。

アマゾンのカスタマーレビューでは賛否両論になっており、

俳句を絶対に作らせない という趣旨の本としか思えない。腐すこと腐すこと全編その姿勢。」

と怒っている人もいれば「名著」として、

俳句の鑑賞さらに作句の勉強に大変役にたちました。

と感謝している人もいる。

つまり、毒にも薬にもならない多くの本に比べれば、人によっては猛毒にもなり劇薬にもなり得るだけの力のある本だと言える。読む側の姿勢によって良書にも悪書にもなるという好例である。

個人的には、これだけ息の長い存在感を放つ本は決して駄本ではないと考える。

読み方によっては有益な痛棒になるし、駄目さの百科全書のような趣もあるので、お勧め度としては☆4つである。


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