ですます調で書かれた名著 十選

 

 

「ですます調」で書かれた文章を読むのが好きなので、時々ひっそりとそういう本だけを集めて読んだりする。

しかし、そういった嗜好を持つ同志がいないのでやや寂しい。

そこで、どこかにいるかもしれない(いないかもしれない)孤独な仲間たちに向けて、夏休み課題図書を選定するつもりで十冊の本を選んでみた。

1.「セールス・アドバンテージ」D.カーネギー

セールス・アドバンテージ

セールス・アドバンテージ

 

 

カーネギーのこの本は「セールス」、日本風に言うと「営業」について書かれたもので、地の文も誰かの名言の引用も全てがですます調になっている。

ですます調で品よく「セールス」を分析し、整理し、段階的・体系的にまとめているので、いつの間にかこちらも品よく分かったような気になってくる。

 

 

2.「エプロンメモ」 大橋芳子  

エプロンメモ

エプロンメモ

 

 

上品さの中に、くだけた親しみやすさも兼ね備えている独特のですます調が「暮らしの手帖」全体のトーンを統一している。

呼びかけ、提案し、考え、そしてたまにはサボり、休んでみる。

そうした自然体の暮らしを支えるですます調がここにある。

年季の入ったですます調はスタイルであり、思想であり、武器であり、美学である。

 

 

3.「寄せが見える本」森けい二 

寄せが見える本 〈基礎編〉 (最強将棋レクチャーブックス (1))

寄せが見える本 〈基礎編〉 (最強将棋レクチャーブックス (1))

 
寄せが見える本〈応用編〉

寄せが見える本〈応用編〉

 

 

ですます調は先生の言葉でもある。

複雑で分かりにくいことを親切に噛み砕いて教えてくれる先生、駄目な生徒をせかさず、あせらず、ゆっくりと丁寧に真理を説く先生には、ですます調の穏やかさがよく似合う。

この本には、難しいことを一定のペースで、きちんと教えてくれる先生の言葉が詰まっている。

 

 

4.「ヴィヨンの妻」太宰治

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

 

ですます調を最も効果的に書きこなしている作家は誰か?

というアンケートがあったら、私は太宰治に一票入れる。

とりわけ「女のですます調」を書く時の太宰治は、神がかり的なまでに見事で、1ミリほどの微かな表情や息遣いまで精密に描いてみせる。

 

 

5.「銭形平次捕物控」野村胡堂

銭形平次捕物控傑作選 1 金色の処女 (文春文庫)

銭形平次捕物控傑作選 1 金色の処女 (文春文庫)

 

 

街頭で突然、

「銭形平次シリーズの特徴は?」

と訊ねられたら、百人中九十人は「小銭を投げること?」と答えてしまいそうである(実際はさほど投げない)。

しかし、ですます調ファンならここはすかさず、

「地の文がですます調であること!」

と応じるべきであろう。

ですます調のノンビリした雰囲気が江戸情緒と溶け合って、清雅で明朗な世界を築き上げている。

 

 

6.「蜘蛛となめくぢと狸」宮沢賢治 

宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫)

宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫)

 

 

表面は甘いですます調で、中身はむしろ苦く残酷、というパターンはある種の童話の定番スタイルである。

内田百鬼園も稲垣足穂も童話を書く際には大抵ですます調だが、内容は少しも平和ではなく、優しくもない。

ある種の童話のですます調は、暗くて、重くて、醜くて、病んでいる。そして直視したくない何かを浮かび上がらせる。

 

 

7.「ボールトン・ウィンフィーヴァーズの生活」J.B.モートン

笑いの遊歩道―イギリス・ユーモア文学傑作選 (白水Uブックス)

笑いの遊歩道―イギリス・ユーモア文学傑作選 (白水Uブックス)

 

 

ですます調はまた、追憶と感傷を描くための文体でもある。

笑いも涙も怒りも、過ぎてしまえばみな懐かしい……、と思わせる魔法のような力で、ですます調は過去を美化し、人や物や風景をセピア色に染め上げる。

この短編は、P.G.ウッドハウスの有名なシリーズもの二本の設定を掛け合わせたような、パロディ風の哀しくて可笑しい小さな傑作。

 

 

8.「司馬遼太郎全講演」司馬遼太郎

司馬遼太郎全講演 (1) (朝日文庫)

司馬遼太郎全講演 (1) (朝日文庫)

 

 

これもまた3と同様に教え諭す「先生の言葉」に近い性質を持っている。

話し言葉・しゃべり言葉・語りの記録としてのですます調という側面もあり、そういう意味では香具師の口上集や落語の速記本に近いような味わいもある。

 

 

9.「花物語」吉屋信子

花物語〈上〉

花物語〈上〉

 

 

ですます調小説界のキングが太宰治だとすると、クイーンは「花物語」の吉屋信子で個人的には決定である。

ちなみに橋本治にも同題の短編小説集があり、やはりですます調で書かれている。

 

花物語 (ポプラ文庫)

花物語 (ポプラ文庫)

 

 


10.「こころ」夏目漱石

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

 

 

「上」「中」を淡々とした調子の常体で書いておいて、「下」でいきなり手紙による告白が始まり、堰を切ったようにですます調が溢れ出す。

この時、既に漱石は「常体によってこそ敬体は引き立つ」という法則を見抜いていたのかもしれない。大正三年の作品である。