以前、映画「エリザベス」を観た時に「これは『ゴッドファーザー』っぽい」という感想を持った記憶がある。
しかし、何年か経ってみると「あれのどこが『ゴッドファーザー』だったんだっけ?」という疑問が湧いてきた。こういう時のためにブログを書いているのではないか、と考えてこのブログを調べてみると、特に何も書いていない。
そこで仕方なく、また「エリザベス」を見直して考えてみた。
すると何と、全然わからない。しかし以前に比べると、ヘンリー8世とかメアリー女王との関係もよく理解できるし、カトリックとプロテスタントの対立についても理解が進んでいて、くっきり敵や味方の思考が分かるのであった。
最後になってようやく、敵対する連中を「粛清じゃ~!」という感じで叩きつぶすので、そこだけは「ゴッドファーザー」っぽいと感じた。おそらくここが「っぽさ」を感じた点だろうとは思うのだが、今ひとつ自信がない。
それで急に思い出したのがBBC制作のドラマシリーズの「リチャード2世」で、実はこちらにも「これは『ゴッドファーザー』っぽい」という感想を持ったのであった。
本作は「権力を持ったAさんの凋落」と「権力のないBさんの隆盛」が並行して描かれており、上昇と下降がクロスする。権力の移譲と言ってもいいし、結局それは、呪われた遺産のように持て余すことになるかもしれないのだが、そのあたりも実に「ゴッドファーザー」っぽいのであった。
要するに私の頭は「ゴッドファーザー」が物差しになっているので、少しでも似ていればたちまち「ゴッドファーザーで言うとアレだな」という判断が下ってしまうのであった。一種の病気、「ゴッドファーザー病」とでも言うべき心の病かもしれない。
ついでに「エリザベス」の続編「ゴールデン・エイジ」も観てみると、続編なのに少しも「ゴッドファーザー PART2」っぽくないのであった。
やはりここは「続編なら続編らしく、エリザベスの成長過程とその後を交錯して描けよ!」と言いたくなる。この病気に特有の非難の仕方だが、さほど大外れの文句のつけ方でもないと思っている。