回文は、語感や字面やリズムが、たいへんに整っていない。俳句や短歌に比べると「醜い」と言っていいほどである。
唐突に省略される助詞、突然あらわれる文語調、妙に馴れ馴れしい口語表現、意味不明の行動+聞いたことも無いような芸能人の名前、その全てが汚らしい。
しかし中には「回文」という厳しいハードルを越えた上で、例外的によく整った姿のよい作品もある。
三谷幸喜の言葉で「つまらない演劇はつまらない映画よりつまらないけど、面白い演劇は面白い映画よりずっと面白い」というものがあって、その関係とよく似ている。
つまり、
整ったごく少数の回文 > 俳句や短歌、定型詩全般 > ほとんどの醜い回文
という関係である。
ところで今日、たまたま「はてなハイク」で「回文のようで回文じゃない」というお題を発見した。
このお題は2008年以来、書いた人がたったの十人という不人気ぶりであるが、回文に特有の無理やり感を再現してみようというセンスはかなり素晴らしい。
例を挙げると、
ありえないエリア
ほとんど徒歩
空海、イカ食う
まさか笹かま(→これは「まさか、さかさま」のもじり)
空き地に千秋
などである。
いずれも、いかにも回文らしいギクシャクした趣と、確かめるまでもない空振り感、「堂々と間違ってます!」という味があってよい。
もう一度言うが、世の中の回文はこれと似たような雰囲気のものがほとんどで、私の最新作はこれよりもっと酷い。
……さあ、ここまで読んでくれた皆さん、心の準備はできたかな?
行くぞ!
声を出して読みたい、回文らしい新作五連発だ!
わたし、クッククックしたわ!(桜田淳子の回想)
スイカ、瓦解す!(すいか がかいす)
今だけツケだ、舞!(いまだけつけだまい)
止すっすよ!(よすっすよ)
釣り率!(つりりつ)