俳句はスピードがあるが、あるというより速くなる前に突然終る。終るタイミングが早いというべきか。
短歌は前半でスピードを上げて、後半は停止したり、最後の最後に落とし穴があったりと、多彩である。
また、定型詩には、映画や小説のようにはジャンルがはっきりしないまま読むことになるという特徴もある。
映画や小説は概ね悲劇か喜劇か、サスペンスか恋愛ものか、子供向けか大人向けか、心の準備ができる程度には分かってからその作品に触れることになっている。
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
この有名な作品の前半にはホームドラマ風の明るさがあり、後半はサスペンス・スリラー風に転換しているといえる。
この一首を嫌い、憎んでいる人も多いらしい。それは唐突に外部から「好き」というストレートな真情が入ってきて、ほぼ同時に道徳的嫌悪感が自分の心の内側から湧いてきて、衝突するせいではないか。
特に女性の場合は「あなたのお母さん」の側から嫌悪する人が多いはずで、構造的に「嵌められた」「騙された」という印象を持つようにできてしまっている。
スピードという観点から見ると、意図的に遅いスピードで始めて、最後の最後で相手を崖から突き落とすか、あるいは自分が転落するかのようなスピード感がある。
というようなことを入門書を読みながら考えた。