「家元を笑わせろ」という立川談志のジョーク集の感想。
談志の落語論や芸人論は図書館で何冊か借りて読んだ。それらは面白いが、しょっちゅうダジャレが入ってくるのにはやや閉口する。
この本は世界のジョークを集めた本で、談志自身の考えたものも一部混ざっている。
分類で言うなら「ブラック」「ナンセンス」系列が自分は一番好きだということを再確認した。ベトナム戦争のジョーク、盲目の少女の願い、サハラ砂漠から手紙が来るもの等が面白かった。
あとは「犬が大学に通うようになって、夏休みになったので実家に帰ってきました」といったような、一行目からナンセンスなやつがいい。その後の展開がどうというより、こういう始まり方がいい。
この本ではないが、「あんパンと食パンとジャムパンが歩いていました。うしろからメロンパンが声をかけました」なんてのもいい。
落語のことを考えていて、急に「植草甚一はきっと落語が好きなはず」という考えが閃いたのだが、どうも落語の話題だけの本というものは無いようだった。
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図書館でちょぼちょぼ借りてくるのが面倒になってきたので、文楽、圓生、林家正蔵の「十八番集」というCD7枚組みのセットを買った。ついでに志ん生のCDもまとめて買った。
今日はとりあえず文楽の「心眼」「悋気の火の玉」を聴いた。
「心眼」の方は盲人が「ドめくら」と罵られたり、「女乞食」が出てきたりで、いま現在は誰もできない噺。
盲人が罵られ、涙ながらに「もう死んでやろうかと思った」などと訴えるので同情してこっちもメソメソした気分になったが、後半かなり調子づいていくので、うまくバランスがとれている。随所で明治大正の頃の人はこういう風に喋ったんだろうなあと思わせる。
「悋気の火の玉」はコミカルな噺で、この間「悋気の独楽」を聴いたばかり。似たタイトルでも区別がつくようになった。
文楽はライブでもスタジオ録音でも寸分たがわず同じで、それは噺家としては珍しいケースらしいが、ミュージシャンでもそういうタイプというのはいると思う。
例えばドゥービー・ブラザーズで「What A Fool Believes 」を歌っていたMichael Mcdonald は、いつどこのライブを見てもレコードと同じように歌っている。
The Doobie Brothers - What A Fool Believes (Official Music Video)
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「志ん生の長男で志ん朝の兄」という、落語界屈指の、というかこれまでの全落語家の1位と2位に挟まれているような人で金原亭馬生という人がいる。
私の知人でこの人の落語がいい!と言う人がいる割には、入門書などではあまり大きく取り上げられていないので疑わしく思っていたのだが、you tubeに「親子酒」があったので観てみた。
前半はそんなに面白くないかな~と思った。
「酔いました」と言う人は酔っておらず、「酔っていまひぇんよ~」と言う人がグデングデンになっている、というのは他の人がやっているのを2通り見ているので「またか」と思った。
がしかし、後半尻上がりに面白くなってきて、「子供を親にする」などと無茶な事を言い出す辺りは実によかった。確かにこの人も相当すごい。テンポが志ん生、志ん朝に比べてゆったりしているのもいい。
それからCDで林家正蔵の「一眼国」を聴いた。
この人は圓生からはやや低く見られていたらしいが、素朴な語り口で引きこまれた。平板と言えば平板な調子でも、じっと話を聴いていたくなるような味がある。この人に比べると文楽は、人物の喜怒哀楽のメリハリがかなりクッキリしている。
後は図書館で借りた志ん生を少し聴いた。
「火焔太鼓」は何度も聴いているが、これが代表作と言われると、ややピンと来ない。そこまでの傑作という気はしない。
「強情灸」これも小さんの「強情灸」の方が自分には合っている。小さんの演じる江戸っ子は本物の江戸っ子を間近に見るような気がする。
気ばかり焦って言葉が出てこなくなり、「ウッ、ウーそっ、その宝くじィ、う売ってくれよォ~」と哀願するような時は小さんの方が可笑しくて上手いと思う。
「弥次郎」は嘘ばかりつく男の話、「あまりにも寒いので小便が棒になる」「火事が凍った」などと全編がシュールなまでのウソ話の連続。こっちの方が自分の好みに合っている。
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今日はまた文楽を聴いた。
まず「寝床」。
これは義太夫を聴かせたがる旦那のウキウキ感と、周囲の聴きたくない人々のウンザリ感の対比が面白い。
しかしサゲの部分の意味が今ひとつ分からないように思われたので、ネットで調べてみたらやはり分からない人が多いらしい。
後の落語家はみな最後の部分を変えているようだ。
続いて「素人鰻」。これは酔った男の啖呵がよかった。「寝床」もそうだが、文楽は不平不満や怒りを爆発させる人物、逆に恥ずかしさや後悔の余り縮こまっているような人物が上手い。
また上機嫌な人物のウヒャヒャ!といった笑い混じりの喋り方もいい。きっと吉田健一はこんな風に話をしたのではないかと思う。
林家正蔵の「鰍沢」も聴いた。これは露伴や鏡花の小説のような、山奥の一軒家に美女がいて……という話。
松本清張の「山椒魚」という短編は落語に向いていると思っていたのだが、もともとこの「鰍沢」を意識して書かれたもののように思えてきた。笑い話ではなく、ちょっと怖いサスペンス系の話。
「一眼国」の時もそうだったが、臨場感があってゾクゾクさせる。テンポを上げずに最初から最後までずーっと一定の落ち着いた語り。字で読んで知っているこの種の話と比べると内容自体に珍しさはないが、耳から聴くとまた異なった味がある。
その後で志ん生の「替わり目」。これは単に酒を飲ませろとか、おでん買ってこいとか、夫婦の会話だけの短い話。喧嘩したりのろけたりで面白い。実話のような面もあって、本人も気に入って何回もやったらしい。
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車の中で林家正蔵の「百川」を聴いていたら、途中で集中力が途切れてしまい、話の内容を見失ってしまった。
仕方ないのでその話は飛ばして次の話を聴いていると、やけにあらすじをアッサリと速めにペラペラ喋るので「こんな事でいいのだろうか?」と思いながら聴いた。後で確かめたら「牡丹灯篭」のほんの一部分をダイジェストで語っていたのだった。
その後で、落語の「桃太郎」は文章に書かれているのを読むだけでもかなり面白いので、誰がやるのを聴くのが一番よいのだろうか?と思って調べているうちに、柳亭痴楽という人を知った。
この人の「桃太郎」が検索で出てきたので試聴してみると、いきなり「破壊された顔の所有者……」「笑う門にはラッキーカムカム」などという声が聴こえてきたので、鼻からお茶を吹き出しそうになった。
この人の声は頭から離れない。
「柳亭痴楽はいい男」とか「ピカソが失敗したような顔」とか、顔のことばかり言っているのもいい。
こういう芸風の人は好きだなあ。