落語日記 31-35

 

 

今日は小三治の「子別れ(下)」を車の中で聴いた。

上中下を通して聴くと2時間かかるというので、ビビッてしまったが終ってみると長さを感じさせない、登場人物もさほど多かった気のしない噺だった。

 

落語名人会(44)子別れ

落語名人会(44)子別れ

  • アーティスト:柳家小三治
  • 発売日: 1996/08/21
  • メディア: CD
 

 

実感としては上が25分、中が15分、下が15分くらいの感覚だった。やはり小三治は上手い人なのか。

内容は他の人もよくやるという「下」の部分より明らかに「上」が良かった。これは酔っ払いが葬式帰りに吉原に行きたがるという筋。

ニコニコ動画に文楽の「よかちょろ」があったので、これも観た。というか聴いた。この噺は筋があるようなないような、実に変な噺。

 

鶴万寺 / よかちょろ

鶴万寺 / よかちょろ

 

 

 

DVDで談志の「野晒し」「笠碁」を観た。
これはどちらも滑稽噺で、他の人がやったのを観たり聴いたりしたことがなかった。

 

 

「野晒し」はエスカレートする妄想とアクションが混じるので、声だけでなく仕草込みで観ることができてよかった。

「笠碁」は囲碁を打つ友達と「待った」「待てない」で大喧嘩して、翌日になって後悔して、

「喧嘩したけどやっぱりまたアイツと碁を打ちたいナア」
「あいつと俺とはそういうちょっとした喧嘩を根に持つ間柄じゃないんだ」

となる心理がいい。ここで「まるで小さんと自分の関係のようだ」と談志がポロリと言う所が何だか胸を打つ。

よく落語は「同じ噺を何回聴いても観ても面白い」というが、そうでもないような噺も結構ある。個人的には「饅頭怖い」「時そば」「寿限無」なんて、そう面白いとも思えない。
しかしこの「笠碁」は私としてはかなり良い方の噺だった。

それから枕の所だけ独立してDVDに入っているのでこれも観た。
全体に世間話のようなものだが、何となく談志の世界に飲み込まれて、感化されるので単純に話題が面白いとかつまらないといった次元とは違う面白味がある。談志に影響されて、もし自分が噺家だったらどういう風に枕の部分をやるのだろうかと少し考える。

「笠碁」の場合は「えー私の趣味は何々でして……」みたいな事を言えばいいのだろうかという風に考えているうちに、「趣味=人を後ろから突き飛ばすこと」という風に出鱈目な方向に持っていけばいいのではないかと考えた。

 

 

またDVDで談志の「幽女買い」「らくだ」。

「幽女買い」は死後の世界で遊女ならぬ「幽女」を買って遊ぶという短い、他愛ない噺。
死後の世界に大勢かつての有名落語家がいて、そのモノマネをする場面があるが、町の名前で人を呼ぶ言い方なので、今いち把握し切れなかった。自分に分かるのは黒門町くらい。

「らくだ」は以前小さんのDVDで観たが、今回の談志版は登場人物にメリハリがあって、何とも言えない凄みと迫力があった。

そもそもこの噺はストーリーがあるような無いような、もっと長い話の一部分のような変な演目で、滑稽噺でもないし、人情噺でもなく、ブラックユーモアというような面もあり、笑いより薄気味の悪さの勝った面もあって、何だか実に落語的と言う他ない。

主人公もくず屋なのかどうか、最初はハッキリしないし、最後まで観ても「これがこうなってああなった」という筋の裏にあまり一貫した理屈がない。

だから起承転結でなくて、行き当たりばったりの承承承承みたいな噺。あえてポイントを探すならくず屋が酒を飲む所が見所だが、それも目立って大きな山場ではない。

で最後はちょっと分かりやすく談志風にアレンジしてあった。場面としては同じだがセリフが違う。スッキリして分かりやすい。

それから談志は被害者を描くのが上手いと思った。
ヤクザまがいのらくだ、その友人がいかに迷惑で困った存在か、という大家のぼやき、漬物屋の主人の嘆き、そういった場面がいい。くず屋も再三再四「自分は仕事があって、町内をひと回りしないといけない、勘弁してくれ」と迷惑そうに言うけれども押し切られる。この人も被害者。

今の所談志のDVDで良かったと思えるものは、「よかちょろ」と「らくだ」が双璧だが、どちらも起承転結がハッキリしない、あらすじだけ見るとそう面白くもない噺という点で共通している。あと「笠碁」もよかった。

 

 

また談志のDVDで「田能久」を観た。

これは「まんが日本昔話」みたいな乗りで、蛇退治をする噺。
何気ない発端から、突然の帰郷要請→夜の山道を行く羽目になる→ウワバミ登場、とスイスイ綺麗に噺が進む。
その後も怪獣映画風のスペクタクルあり、何やらかんやらで隅々まで面白かった。

最後に「これが元で今の歌舞伎座ができました」といった由来話風にまとめかけたが、勿論これは嘘で、そういう結末が無くても満足できる噺だった。

 

 


それから「昭和の名人」シリーズのCDで「粗忽の釘」「きゃいのう」あと「源平盛衰記」か何かを聴いた。
良くも悪くも古い時代の落語だという感想。

 

 

「この落語家を聴け! 」という落語家に関する案内書を読んだ。

この本は、誰がこの噺のこういう部分をこういう風に変えた、というアレンジの細部まで丁寧に紹介してあって、そこがよかった。

細かく特定の演目を掘り下げて、研鑽に次ぐ研鑽、改変に次ぐ改変という人もいれば、一時期やってから間を大きく空けて再び取り組む人もいて様々。

 

この落語家を聴け! (集英社文庫)

この落語家を聴け! (集英社文庫)

  • 作者:広瀬 和生
  • 発売日: 2010/10/20
  • メディア: 文庫
 

 

読み終えて気付いたのだが、書いた人は音楽(というかヘビメタ)雑誌「バーン!!」の編集長だった。

この本は「落語は生で聴かなきゃわからない」という主張が所々に書いてあるが、自分はややその種の意見に疑問を感じる。勿論、現役の落語家を生で見ることができるならそうした方がいい。

しかし生の悪い席で見るのが3500円で一回限り、という条件と、綺麗な音のCD(2800円)と、二択でどっちを取るかと言われたらちょっと微妙だし、「わかる」とか「わからない」というものが何を基準にしているのかが曖昧で、生で沢山聴いている人の書いた文章にそれが表れているかというとそうでもない。

これは「映画は封切時に映画館で観た者でなければわからない」というのにも似た、大抵は「ああそうですか」と言うより他ない自慢話に過ぎない。

それに行く行くは、談志にしろ誰にしろ残るのはソフトだけになるのが目に見えている。だからごくごく少数者向けの「生」はやめて録音・録画に専念しますという落語家が出てきてもおかしくないほどだ。ビートルズやグールドや円生百席、談志百席のCDを前にして、「録音じゃダメ!生以外はダメ!」と言える落語家がそう多くいる訳がないとも思う。